当時の、東京地検の主任検事だった、河井信太郎との〝デート〟がなければ、情報が取れないのである。しかし、主任検事だから、各社とも、夜討ち朝駈けでマークしているのは、当然である。
立松は、他社の記者との鉢合わせを、避けなければならない。そうでないと、ネタモトが河井検事だ、とバレてしまう。そのための細心の注意が必要で、夜討ちの場合は、河井の自宅から、ずっと離れたところに車を止め各社の様子をうかがう。
そのためには、各社の記者の、何倍もの時間が必要になる。睡眠不足と体力の消耗。彼は、そのころ流行していた、ヒロポンを用い出し、不規則な生活に、荒れていた。
こうして、立松の身体を蝕んでしまった原因は、〈昭電事件の立松〉という、スターの虚名であった。
この二年ほどの病欠。復職してきたとはいっても、心身ともに、充分でないことは明らかだった。
つまり、私が問題にするのは、河井検事のあり方なのである。自分の野心のため、政治を動かそうとして、立松という、有能な記者をダメにしてしまったことである。検事という立場で、新聞の紙面を私(わたくし)しよう、という、河井の人格を糾弾するのだ。
本田は、「…クラブに加入して二年、記者歴を通算しても、たかだか三年の若輩、にである」と、書く。「司法記者会に入会したときは、弱冠二十四歳であった」とも。
ということは、ほとんど、マトモな記者としての訓練を受けていない、ということでもある。父親のコネで、検察幹部に可愛がられ、たまたま野心家の河井に出会った。その河井に、利用されて、リークされていただけの〝スター記者〟だったのである。
それはとにかくとして、本田は、売春汚職に、立松がタッチしてくる経過を、次のように描く。
《この十月十六日の夕刻、司法記者クラブ員だった滝沢記者が、日比谷公園の松本楼に呼び出されて、立松に相談を持ちかけられる。
滝沢記者は、立松に、全性連という、遊廓業者の団体の、幹部の浮き貸しの話を聞かされた。だが、滝沢は乗ってこないのだ。
「君、どう思う。これじゃ弱いか」
立松のことだから、復帰の初仕事は、トップ記事で飾ろうと、意気込んでいるに違いない。そうだとすれば、かりに、彼の仕入れた情報が正しいとしても、特捜部が追う本筋からは枝葉であり、いかにも弱い。
滝沢が沈黙していると、立松は彼の答えを先取りするようにいった。
「やっぱり、代議士が出てこないことには、しようがないか」
代議士といわれた滝沢は、小耳にはさんだばかりの噂話を、立松に、してみる気になった。
「マルスミっていうの、聞いてます?」
「競馬うま、かい」
「丸で囲った〝済〟の判こが押されているから、丸済み」
「それが、どうかしたのか」
「全性から、どういう経路をたどったのか。ともかく、献金リストが政界筋に流れて、その中の代議士のうち、何人かの名前の上に、丸済みのマークがある、というので、ちょっとした騒ぎになってい
るんだ、そうですよ」