正力松太郎の死の後にくるもの p.270-271 新聞社に入るなら第一に販売

正力松太郎の死の後にくるもの p.270-271 販売店は配達員の人手の確保その他、経営の苦しい内情をるると訴え、宅配確保の値上げの弁明を試みている。だが、私の十五年の新聞社生活の体験と知識とからいうと、販売店は儲かっているハズである。
正力松太郎の死の後にくるもの p.270-271 販売店は配達員の人手の確保その他、経営の苦しい内情をるると訴え、宅配確保の値上げの弁明を試みている。だが、私の十五年の新聞社生活の体験と知識とからいうと、販売店は儲かっているハズである。

東京編集局長田代喜久雄はいう(新聞協会報43・11・19)。「紙面刷新三つの柱として、『今週の焦点』という囲み記事を日曜朝刊に新設。朝刊四めんを『ドキュメントのページ』として、記録、演説などの全文掲載。社説活字を大型化して『声』『人』と併せて『オピニオンのページ』を設けた」と。

情報の洪水の中の一つの対応策として、値上げの十一月一日からこうした紙面〝刷新〟を図ったというものであるが、「今週の焦点」は、生活のテンポが早くなったのを認めて、週刊誌に追従した発想である。新聞の記録性に頼った「ドキュメント」はよいとしても、「オピニオン・ページ」に、社説を物理的にのみ読みやすくして収容したあたり、まだ、田代にも〝古きよき時代〟への郷愁趣味がみられる。

刷新であるならば、何故、「社説」を投げ出さないのか。活字を大きくすれば、読んでくれるのだろうか。千円に値上げの発想を打ち出せる編集陣が、社説にこだわるあたりに、やはり、朝日の混迷せる紙面造りの原因があるようである。

大阪編集局長秦正流はいう。「宅配制度の崩壊は、時の流れでもあろう。読売の強力な追いあげに、朝日も懸命である。そして、三紙てい立の維持に必死の毎日——販売費はいよいよ高騰し、小刻み値上げが断続し、各社ともに戦力を使い果した時、ようやく、共販・共同集金などの合理化が検討されよう。その時、どの新聞が生き残っているかが問題である」

宅配の維持が、大新聞社の生存競争でもある。しかし、崩壊へと進みつつあることは、新聞人の眼にも明らかである。朝日、読売の一大激突のあとが、新しい〝新聞〟の夜明けである。その時、「紙面」はどうなっているのだろうか。

さて、それでは新聞の販売部門にも眼をそそがねばなるまい。

宅配制度維持のための、新聞販売店の労務改善を理由とする、新聞代の値上げ発表(四十三年)が行なわれたが、それに先鞭をつけたのは、四十三年十月十二日の日経である。従来の月ぎめ六百円を七百円とするのだが、これは経済紙だからさておこう。朝日は十七日。これを追随して毎日が二十日、さらに読売が二十三日と、いずれも、八十円値上げの六百六十円である。

宅配制度維持のための八十円の値上げであるが、この八十円が、全額、配達員のためにその報酬になるのであろうか。タクシー会社と運転手の関係が、そのまま、新聞販売店と配達員の関係にあてはまらないだろうか。

新聞販売関係の内報を見たり、値上げの解説記事を読むと、販売店は配達員の人手の確保その他、経営の苦しい内情をるると訴え、宅配確保の値上げの弁明を試みている。

だが、私の十五年の新聞社生活の体験と知識とからいうと、販売店は儲かっているハズである。第一、新聞記者を志す奴などバカの骨頂で、新聞社に入るなら、第一に販売、第二に広告といわれている。酒に女に、小遣いに不自由しないという、最近流行のハウ・ツウ式表現である。