正力松太郎の死の後にくるもの p.268-269 新聞内部では業務が編集をリードしている

正力松太郎の死の後にくるもの p.268-269 〝士魂商才〟が〝商魂商才〟となり、さらに〝商魂〟のみになった。つまり、巨大化の傾向を強めつつある「新聞社」の実情が、全く経済効果オンリーとなり、紙面はアクセサリー化しつつある、といえよう。
正力松太郎の死の後にくるもの p.268-269 〝士魂商才〟が〝商魂商才〟となり、さらに〝商魂〟のみになった。つまり、巨大化の傾向を強めつつある「新聞社」の実情が、全く経済効果オンリーとなり、紙面はアクセサリー化しつつある、といえよう。

最初、朝日社内では「一カ月千円」という破天荒な数字が、真剣に検討された。主として編集幹部の意見だったらしい。この値段は週刊文春誌なども伝えていた数字だが、その根拠は、大幅値上げによって、ひんぱんな小幅値上げを避け、思いきって経営の安定化を図る。昨今の心理的風潮が、「たかいものだからいいもの、美味いもの」と、倒錯的評価の傾向にあるので、高級紙「朝日」だけが実行し得る大幅値上げであり、朝日読者はそれでもついてくる、というにあっ

た。真意はそうとしても、狙いは、従来の行きがかり上、毎日も同額の千円にすれば、さらに読者を失って部数が減り、現在辛うじて維持している四百万台割れとなり、完全に蹴落せるということ。もしまた、同額の千円の値上げに踏みきれなければ、イメージの上でハッキリと格差をつけられるということで、多年の朝・毎時代の終焉を告げられる。

さらに、対読売戦をみると、読売読者は千円ではついてゆきにくいから、読売の販売経費はさらに増大し、その実力が疲弊するので持久戦にもちこめば、追随を振り切れるであろう、という観測にあったのである。

しかし、この千円案は、主として販売幹部の慎重論に押されて、七百五十円にまで後退してきた。そして、最終段階で、広岡社長の「新聞は安く大勢の人に読んでもらうべきものだ」という意見で、六百六十円に落着したと伝えられている。

新聞経営の健全なあり方として、販売収入と広告収入の比率が、六対四であるのがのぞましいといわれているが、現状では、これが逆になって、四対六。広告収入が常にリードを奪っており、それゆえに、広告主の発言権が増大して、紙面——編集権の独立をおびやかしている。

ある朝日編集幹部によると、このような小刻み値上げでは、値上げ当時こそ、収入比率は六対四となるが、すぐに、五対五となり、数カ月を出ずして、また四対六に逆もどりしてしまう、という。だからこそ、一年後には再値上げせざるを得なかった。

その辺の実情から、販売、広告などの業務系統に対し、紙面百年の計を考える編集が、思いきった千円値上げを提唱したものらしいが、ついに八十円の小幅値上げにとどまったものだ。このことは、今や新聞内部では、業務が編集をリードしていることを物語っており、〝士魂商才〟が〝商魂商才〟となり、さらに〝商魂〟のみになった経過を説明してくれるものである。

つまり、好むと好まざるとにかかわらず、巨大化の傾向を強めつつある「新聞社」の実情が、その経営を維持するために、全く経済効果オンリーとなり、紙面はアクセサリー化しつつある、といえよう。

この時、どうして朝日新聞だけの、紙面の退廃を責められよう、どうして、朝日記者にのみ、「新聞記者精神」を期待できよう。

強きにつき弱きをくじき、権力に密着し、読者に迎合し、ナリフリだけは構って、都合の悪い時は居眠りをし、東に引越しがあるときけば行って乱闘をし、西に珍らしいものがあると知れば招いて興行をする——朝日一万社員、社友、客員を養うためには、そうせざるを得ないのである。

新聞は、もはや、昔日と違った形の、単なるコミュニケーション産業に、変質しつつある。無冠の帝王とか、社会の木鐸とかの古語は、死語となりつつあるのだ。 社内における論説委員の地位の低下が、何よりも、雄弁にそれを裏付けよう。