立松はニュース・ソースを打ち明けた。かつて東京地検特捜部で大型疑獄の摘発に凄腕を振るった人物であり、いまは現場を離れているが検察官の身分にかわりはなく、捜査の流れを知り得る立場にいる。
立松によると、その人物は次のようにいって、丸済み議員のリストを彼の前に出したという。
「立松君、元気になってよかったね。貧乏検事にはなんのお祝いも出来ないが、これはぼくの気持だ」…。
翌十七日の昼前に出社した立松は、景山社会部長に取材の成果を報告した。そして、鈴木顧問の浮き貸し事件と、代議士に対する業界からの贈賄の、どちらを先に出稿するかについて指示を仰ぐ。…。
その間に立松が戻って来て、滝沢と原稿の相談が始まる。
「九代議士に丸済の疑惑、といったかたちで全員の名前をばあっと書いちゃおうか」
意気込む立松に滝沢がブレーキをかけた。
「九人全部っていうのはどんなものでしょうか」…。
そこへ、司法記者クラブ詰め主任の三田和夫がやって来た。それから立松が結論を出すまで、そう長い時間はかかっていない。「今日のところは、滝沢君がいう通り、確実な線に絞ったほうがよさそうだ。その線でもう一度、念を押してみよう」
彼は床の間のわきの室内電話に手を伸ばし、帳場に都内のある電話番号を告げた。
外線につながって、確認が始まる。三田、滝沢にはその内容を聞くまでのこともなく、相手は前述のニュース・ソースと知れた。
「くどいようで申しわけないんですが、九人のうち五人については、かなりクロっぽいというお話でしたね」
「——」
「そのうちはっきり裏がとれているのは、だれとだれですか。もう一度名前を読み上げてみますから」
「——」
「実はこれから原稿を書くところなんですが、その線なら動きませんか」
「——」
「わかりました。それじゃ明日の朝刊は、その二人だけ実名で行くことにします。どうもたびたびすいません。ありがとうございました」
受話器を置いた立松は、メモ帳の中の九代議士の名前のうち、二つをボールペンで囲って三田に示した。
「たびたびすいません」というからには、今日の午後も立松は、ニュース・ソースと接触を重ねていたのであろう。自分の目の前でさらなる確認をとりつけた同僚に、三田はいうべき何物もない。すべてを彼に任せた…。》
こうして、読売の劣勢を一挙に挽回するはずの特種が、昭和三十二年十月十八日付け朝刊の十四版から、社会面トップに組み込まれたのである。
《(注=その記事後半部分)当局では三幹部(引用者注・鈴木明全性理事長、山口富三郎同専務理事、長谷川康同副理事長)を全性本部が全国ブロックに呼びかけて地元毎に政界工作にあたらせた参謀とみて、まず同本部の心臓部である東京都連——地元(東京出身議員)を結ぶ汚職ルートに摘発のメスを入れることに決定、捜査の結果、真鍋代議士についで、宇都宮、福田両代議士にいずれも二十—五
十万円の工作費がおくられている事実をつかんだ。
ワイロの手口としては、三幹部の指示により、地域別の業者を〝政界工作員〟として、めざす議員の巡りに一人または二人ずつつけ〝運動〟したのち手渡していたとみている。(中略)このほか地元出身のK、S、Nの三代議士についても、同様の丸済という印がつけられているので、その裏付け捜査を急いでいる。(後略)》