読売梁山泊の記者たち p.236-237 馬場次官対岸本検事長の対立

読売梁山泊の記者たち p.236-237 河井刑事課長という〝情報源〟には、読売の立松以外の記者は、アプローチしないのだから、伊藤らは、立松の戦列復帰を知って、〝仕掛け〟を考えた、と判断せざるを得ない。あるいは、立松復帰も知らず、河井批判の立場で試みたのかも知れない。
読売梁山泊の記者たち p.236-237 河井刑事課長という〝情報源〟には、読売の立松以外の記者は、アプローチしないのだから、伊藤らは、立松の戦列復帰を知って、〝仕掛け〟を考えた、と判断せざるを得ない。あるいは、立松復帰も知らず、河井批判の立場で試みたのかも知れない。

だからこそ、景山社会部長があせり、病欠上がりの立松を、直轄で起用するのである。戦線に投入された立松が、見ず知らずの若い検事の自宅に、夜まわりするハズがない。立松が顔を出したのは、河井刑事課長室ぐらいのものであろう。
カンぐれば、立松が現われたというニュースが伊藤らに伝わり、それなら、昭電事件以来の、河井

のリークを立証しよう、として、ガセネタを流した、とも考えられる。伊藤のいうように、《初期から、しばしば重要な事項が読売に抜け》たのは、昭電事件の時だけである。

伊藤らの〝仕掛け〟が、立松逮捕にまで発展するとは、決して予想はしなかったであろう。伊藤らは、やがて、特捜部長、次席検事と、彼らの上司になるだろう河井の、〝政治的な動き〟を牽制すべく、ガセネタを流してみた。それを、単発的な行動としては、工合が悪いので、《初期から、読売に抜け》と、表現したのであろう。

しかし、地検特捜部という〝現場〟があるのに、河井刑事課長という〝情報源〟には、読売の立松以外の記者は、アプローチしないのだから、伊藤らは、立松の戦列復帰を知って、〝仕掛け〟を考えた、と判断せざるを得ない。

当時、馬場次官対岸本検事長の対立は、岸本の検事総長就任の可能性をめぐって、ギリギリのところにきており、伊藤らは、そのような対立を批判して、立松復帰を絶好のチャンスとして、〝仕掛け〟を考えたに、違いないだろう。

あるいは、立松復帰も知らず、河井批判の立場で試みたのかも知れない。ただ、「秋霜烈日」にまとめるに際し、昭電事件当時を想起して、「売春汚職では、初期から…読売に抜け…」という、表現をしたとみるのが、一番、真相に近いと思われる。

なぜなら、伊藤らには、宇都宮、福田両代議士が、岸本のいる高検に、告訴することなどは、判断も、予想も、できないからだ。

さて、本田の「不当逮捕」は、そのあたりを、どう、書いているのだろうか。

《滝沢が待つ銀座裏の「憩」に立松が姿を見せたのは、約束の時刻を二時間も過ぎた午後十時であった。

「とれたぞ」

立松は向かい側の椅子に腰掛けるなり、メモ帳を背広の内ポケットから取り出して開いて見せた。

「これがさっき君のいってた丸済み議員だ」

いわれて滝沢は、そこに書かれてある名前を一つずつ目で追った。いずれも都内選出の自民党代議士で、計九人である。

「この中の五人は容疑がかたまっているという話だった」

立松の説明に滝沢は、ウェイトレスが振り向くほどの声を上げた。

「へえ、すげえや」

その言葉に誇張はない。売春汚職の取材を始めてから五日目、丸済みメモの噂を耳にしてからわずか五時間で、立松は捜査の核心部分と思われるあたりをわしづかみに持ち帰って来たのである。…。

立松はニュース・ソースを打ち明けた。かつて東京地検特捜部で大型疑獄の摘発に凄腕を振るった人物であり、いまは現場を離れているが検察官の身分にかわりはなく、捜査の流れを知り得る立場にいる。

立松によると、その人物は次のようにいって、丸済み議員のリストを彼の前に出したという。

「立松君、元気になってよかったね。貧乏検事にはなんのお祝いも出来ないが、これはぼくの気持だ」…。