渡辺誠毅。東大農学部で、農業経済を専攻した昭和十四年入社組。ゾルゲ事件に連坐した田中慎次郎直系ともいうべき経済記者であるが、四十三年暮に、役員になったばかりの、次代の朝日の荷ない手である。
東京編集局長田代喜久雄は、渡辺と同じ十四年卒業だが、他社に一年いたので、入社は昭和十五年。渡辺は、田代が東京の局長になったのよりおくれて、大阪の編集局長となり、役員待遇になったのも、田代よりおくれていたのだが、役員では追越した形となった。そこに、〝広岡体制〟における後継者ともみられる要素がある。
論説委員、調査研究室、総合企画室といったポストを経ており、〝編集一本槍〟ではなく、かつ、原子力をはじめとする科学技術を踏まえた未来学の分野に明るい、といわれているので、大阪編集局長からよびもどされて、役員に列したというあたり、広岡の信任も厚いとみるべきであろう。「視野の広さ、読みの深さ。当代朝日人の中では一流」と、ベタボメする人もいる。
インタビューは二時間半にもおよんだ。渡辺は、滔々と弁じ、諄々と説き、外語を交えては東西に例証を求め、語って倦まなかったのである。ある時には、伝法な新聞記者の姿がのぞき、ある時には学者であり、そして、冷静な〝経営者〟でもあった。非は非としててらうことなく認め、さらに、〝明日の朝日新聞〟のあるべき姿を語るのであった。
朝日はアカくない
朝日新聞は、果して「左翼的偏向」を犯しているのであろうか? 渡辺は、言下に否定した。
「私は朝日の紙面をアカいとは思わない」と。〝朝日はアカい〟という神話はブチこわされねばならないと、私は書いた。その点は意見は一致したのである。
〝朝日がアカい〟という声は、意識的につくられ、流されているというのである。一犬虚に吠えて、万犬実を伝う——この古諺さながらの実情に、二人は〝虚に吠え〟た犯人を煮つめていったのであるが、どうやら、時事通信社長の長谷川才次あたりに落ちつく様子であった。
かつては、マルクス・ボーイであったろう渡辺としては、〝朝日の左翼偏向〟などを肯定し得るものでないことは、理の当然でもあろうが、その偏向非難の声が、「意識的につくられ、意識的に流されている」という見方は、的を射たものというべきである。
「潮」別冊冬季号(四十三年)に、「マスコミに奏でられる〝転向マーチ〟」という、小和田次郎(デスク日記の著者)のレポートがある。
「六八年十月四日、京都で日経連五十嵐事務局長が講演した『安保問題と労働組合』の中で、六
〇年以後、過去九年間のマスコミ工作によって、いまや『朝日、TBS、共同通信』の三社以外は、まったく心配はいらないという、判断が表明されている。残る〝マスコミ偏向トリオ〟に攻撃を集中すればよい、という認識である」