つまり、売春汚職という、いままでの汚職のうちでも、もっとも汚い、といわれた事件で、読売に
大きくその名前が報道されれば、この二人の落選は、まず、間違いのないところだ。そして、そのそれぞれの選挙区に、安井、藤山の新人二人が、立候補する。
河井の狙いは、この新人二人の当選を期するにあった、というべきであろう。
伊藤栄樹・元検事総長らの、河井信太郎・法務省刑事課長へのガセネタ流しは、いわゆるマルスミメモのうちの、東京出身の九名の議員。そのうちの五人を、〝黒っぽい〟として流したものであろう。
それは、当時の関係者たちに取材した、本田靖春著「不当逮捕」に、描写されている通りであり、最後の河井宅への電話取材に、立ち合っていた、私の記憶の通りでもある。
つまり、〝黒っぽい〟五人のうちから、河井の判断で、宇都宮徳馬、福田篤泰両代議士が、「容疑濃くなる」(読売見出し)として立松和博記者にリークされたのである。
そしてそれは、私が、当時の政治情勢を調べてみると、安井誠一郎、藤山愛一郎という二人の大物新人の当選を期するため、東京二区と同七区とで、〝弱そうな二人〟を落とそうという、陰謀をめぐらせた、としか、判断できないのである。
もしデマのネタモトを暴露していたら…
伊藤は、その遺書「秋霜烈日」の、冒頭部分(63・5・10付第五回)で、河井についてこう書いている。造船疑獄の部分だ。
《…それにもまして、河井信太郎主任検事との、捜査観の相違とでもいうべきもの、それと、判事出
身の佐藤藤佐(さとう・とうすけ)検事総長の人のよさに、相当な不安を抱いていたのである。
河井検事は、たしかに不世出の捜査検事だったと思う。氏の、事件を〝カチ割って〟前進する迫力は、だれも及ばなかったし、また彼の調べを受けて、自白しない被疑者はいなかった。
しかし、これが唯一の欠点、といってよいと思うが、氏は、法律家とはいえなかった。法律を解釈するにあたって、無意識で捜査官に有利に、曲げてしまう傾向が見られた。
…佐藤検事総長は、まことに人柄のよい方であったが、もともと、裁判官の出身であったため、捜査会議の欠点を、十分ご存知なく強気の意見に引きずられがちであった。
全国からの応援検事を加えた、三十人以上の検事が、捜査に従事したこの事件の、節目節目の捜査会議では、まず、河井主任検事の強気の意見が開陳され、地方からの応援検事を筆頭に、次々と、これに同調する意見が述べられる。
慎重な見解は、東京プロパーの検事から述べられるが、その意見は、しばしば総長によって、無視されてしまった。会議において、トップの者は、原則として、消極意見を述べて、吟味をさせるべし、というのが、検事の社会の常識なのだが。
K参院議員の処分をめぐって、証拠の評価が分かれ、その取り調べにあたった、Y検事自身が涙を流して、起訴はむりだと主張し、私も及ばずながらこれを支持したのだが、圧倒的に大きい強気の意見は、起訴すべしとした。裁判の結果は、無罪。今でも、あの涙は忘れられない》
これを読み通してみると、伊藤は、「捜査観の相違」として、八年先輩の河井批判をしている。Y検
事の涙も、〝強気の意見イコオル河井の意見〟の然らしむるところだ、と怒っている。