読売梁山泊の記者たち p.248-249 「立松事件」の重要な背景

読売梁山泊の記者たち p.248-249 このような、政治情勢が背景にあった時、河井は、五人のうちから、宇都宮(東京二区選出)と、福田篤泰(東京七区選出)の二人を選び出し、立松が「二人を実名で」というのに、OKを出したのだ。
読売梁山泊の記者たち p.248-249 このような、政治情勢が背景にあった時、河井は、五人のうちから、宇都宮(東京二区選出)と、福田篤泰(東京七区選出)の二人を選び出し、立松が「二人を実名で」というのに、OKを出したのだ。

二区でみると、宇都宮は二十四年に初出馬だから、四回の選挙だ。そして、次点、二位、三位、三位の成績。三名の定員を、保守二、革新二の四名で争って、その四回の選挙で各人とも公平に一度宛、次点となって休んでいる、という実態だから、次の選挙では、誰かが、二度目の次点を味わうことになる。

そこに、藤山が加わるというのだから、保守三、革新二、もしかすると、宇都宮、菊池両氏が次点以下、という可能性…それどころか、割りこんできた藤山自身が、落選ということもあり得るのだ。

七区にいたっては、さらに保守の同士討ちである。並木芳雄が五回とも堂々当選して、しかも次第に上位になって、堅実になっていくのに対し、福田は、次点、三位、次点、四位、五位と、二回落選という、不安定な状態にある。

藤山も、初めは一区出馬を望んだ。安井も一区となると、予想では、鳩山、安井、原が確実で、残る一議席を、浅沼、藤山で争って藤山が落ちる、と見られた。

二区ならば、加藤、松岡両社会党候補が当確で、残る一つを、宇都宮、菊池、藤山で争って、下手すると、三人共落選、とも読まれたのであった。

そのため、安全を期して、五区の中村梅吉を都知事候補とし、その地盤をユズリ受けてと計画されたが、中村が都知事を受けないので、五区出馬はダメ。

次の手は二区である。菊池を参院にまわらせて、その地盤をというのだが、菊池が選挙区を金にかえて、売り飛ばすことはできないと、断わったといわれている。

このような、東京都知事選もからんだ、東京選出の代議士をめぐっての、微妙な政界事情が、この「立松事件」の起こった、昭和三十二年十月ごろの政治情勢だったのである。

そして、この動きは、安井都知事の出馬声明の夏から秋にかけて、急テンポで動きはじめ、しかも、解散近しの空気とともに、次第に厳しさを増してきていた。

これは「立松事件」を解明するためには、見落とすことのできない重要な背景である。

このような、政治情勢が背景にあった時、河井は、五人のうちから、宇都宮(東京二区選出)と、福田篤泰(東京七区選出)の二人を選び出し、立松が「明日の朝刊に、二人を実名で」というのに、OKを出したのだ。

つまり、売春汚職という、いままでの汚職のうちでも、もっとも汚い、といわれた事件で、読売に

大きくその名前が報道されれば、この二人の落選は、まず、間違いのないところだ。