原四郎の〝努力〟で、立松記者は釈放された。と同時に、読売新聞あげての、高検・岸本検事長叩きが開始されたのだった。
だが、それは、問題の根本的な解決には、なにものをも、もたらすものではなかったのである。司法記者クラブの三人のメンバーである三田、滝沢、寿里の意見は、立松が、河井検事にハメられた、ということで一致していた。
立松が、河井に確認した、国会議員の名簿は、マルスミ・メモ以外のなにものでも、なかったから、読売の〝劣勢〟は、覆うべくもなかった。
舞台は、すでに、衆院法務委員会に移っており、検事総長は、「両氏には、容疑はないし、検察庁からは、絶対に洩れていない」と委員会で言明した。
そこで、「検察筋」と、両代議士に答えた小島文夫・読売編集局長の、証人喚問へと動き出していた。
本田著「不当逮捕」はこう描いている。
《…。だが、そうはいっても、立松が、司法記者クラブ詰めのキャップである三田に、仕事上のことであるにせよ、迷惑をかけている事実は動かせない。前日来、東京高検と社のあいだを、何度も往復している彼の立場を立松は考えた。
それにもうひとつ、この日の午後二時から後輩である滝沢が、東京高検の事情聴取を受けている、と聞かされたことも、立松には気に掛かるところであった。
ここは、自分が出て行かないことには、収まらないだろう。出頭要請には、いぜんとして、引っ掛かるものがあるが、立松は、そう肝を決めた。
「よし、久し振りに顔見せと行くか」
三田の膝を叩いて立ち上がったときは、かつての、司法記者としての自信が、蘇っていた。 「ともかく出頭して、まず滝沢君を帰してもらいます」
部長席に近づいて、三田との話し合いの結論を告げると、景山はいった。
「滝沢君のことだけど、君こそ病み上がりなんだから、早く帰ってこいよ」
次いで、原編集総務に挨拶すると、ねぎらいを口にした景山とは、打って変わったきびしい表情で、いきなり問いを発した。
「新聞記者の最後のモラルは、何だか知っているか」
その権高(けんだか)な物言いに、立松の胸の中で、むらむらとこみ上げるものがあった。竹内四郎の後を受けた原四郎は、「両四郎」と並び称されて、前任者を上回る名社会部長ぶりを謳われ、整理部長兼編集局総務に昇進したが、現役時代の彼は、文章派に属していた。
同じ四郎でも、司法記者の先輩である竹内のほうに、心を残す立松は、事件も知らずに何が社会部長か、と内心では、原を多少軽んじていた。そうした感情が、頭ごなしの原の問いかけに触発されて、あたまをもたげたのである。
これがふだんなら、持前のヤユで軽くかわすところだが、時と場合をわきまえて、神妙に受け答えした。
「ニュース・ソースのことでしたら、十分、心得ています」