さて、亡くなったのが九日、そして、葬儀が十四日と発表されていた十二日の日曜日、日経紙が朝刊で「日本テレビ、粉飾決算」と、あまりにもタイミングのいい大スクープを放った。中三段(なかさんだん)という、遠慮気味の扱いながら、内容はトップに使えるスクープであった。
日曜だから夕刊がない。各社は十三日付朝刊で後追いという醜態である。読売が黙殺したのは当然として、朝毎とも、四段という、後追いにしては大扱いであった。抜いた日経の記事によると、「大蔵省によると、……の事実のあることが、十一日、明らかになった」とある。
死去の日も数えて三日目。しかも、半ドンの土曜日の午前中だから、正味は九日、十日の二日間しかない。——どう考えてみても、この〝明らか〟になったのは、ずっと以前からであり、発表のタイミングを狙っていたとしか思えない。
つまり、九月十八日「日本テレビが証券取引法にもとづいて提出した、増資のための有価証券届書を大蔵省が調査した結果」(十月十三日付毎日紙)、十月はじめから「福井社長はじめ同社の経理担当者をよんで、事情を聞いた」(同朝日紙)ところ、四十三年九月期までの九期間に、計四億九千五百万円、さらに四十四年三月期に、五億七千九百万円、合計十億七千四百万円も、利益を過大に報告していたことを認めた、というもの。
すると、日本テレビの報告書提出から二週間で、「大蔵省が気付き」、社長や経理担当者をよんでから一週間で、「調査、判明した」という、役人仕事としては、何ともハヤ、スピーディなこ
とではある。
そこで、投書、もしくは、内部通報などの〝諸説〟が出てくる所以である。大蔵省としては、すでに十分に承知していて、増資を中止させるための、事務手続上のタイム・リミットを見計らっていたに違いない。あまりに早く〝発表〟すれば、正力の怒りを買って、自分のクビに影響しかねまい。
日経記者も、それをすでに知っていて、担当官との間で、日曜朝刊という〝抜き甲斐〟のあるタイム・テーブルを作ったのであろうか。大蔵省にとっては、正力の突然の訃報には、ホッと肩の荷をおろした感だったに違いあるまい。
ホッとしたのは、大蔵省の担当官ばかりではない。正力の長子亨もまた、最近は大変明るい表情になった、といわれている。
日テレ副社長というポストについたのも、正力タワー建設本部長としてなのだが、この亨には、〝大正力〟の重圧は、たいへんな負担だったようだ。何しろ、タワー建設の見通しなど、「すべては会長の御意志のまま……」(十月十二日付内外タイムス、針木康雄)と、取材記者に語るほどである。
この言葉は、実の親子の間の会話ではないし、息子が父親のことを、第三者に語る言葉ではない。目撃した人の話によれば、正力の前の亨は、直立不動でかしこまり、とても、親子の感じで
はないという。