正力松太郎の死の後にくるもの p.340-341 保全経済会の伊藤斗福が一億円をポンと投資

正力松太郎の死の後にくるもの p.340-341 遠藤ばかりではない。伊藤斗福とて同様である。ことに、その保全経済会が、サギ団体とされてしまえば、なおさらのことである。大正力の偉業の成果は、文字通り〝一将功なって万骨枯る〟である。
正力松太郎の死の後にくるもの p.340-341 遠藤ばかりではない。伊藤斗福とて同様である。ことに、その保全経済会が、サギ団体とされてしまえば、なおさらのことである。大正力の偉業の成果は、文字通り〝一将功なって万骨枯る〟である。

この言葉は、実の親子の間の会話ではないし、息子が父親のことを、第三者に語る言葉ではない。目撃した人の話によれば、正力の前の亨は、直立不動でかしこまり、とても、親子の感じで

はないという。

よそ眼には、〝明るく〟なったといわれる亨ではあるが、彼と日テレをめぐる情勢は、決して〝明るい〟ものではない。十一月末の株主総会を控えて、この粉飾決算の責任問題は、現重役陣の総退陣をうながしている。

もともと、街頭受像機設置という構想からスタートした、日テレの歴史をみると、大正力としての〝最後の苦闘〟であった。

構想はまとまったのだが、NHKさえ動いていない時期だけに、正力のプランを聞いても、財界さえ動こうとはしなかった。日テレの株の引受け手がいないのである。この時、のちに「詐欺師」ときめつけられた、保全経済会の伊藤斗福理事長ただ一人が、何か思惑があったのか、正力の話に耳を傾けた。

「各方面から狂人扱いをうけ、まるで相手にされなかった、日本テレビの〝正力構想〟に進んで賛成、全株数の一割に当る一億円をポンと投資、さらに即時発足に必要な資金の融資を約束、とにもかくにも、強引に日本テレビをスタートさせた男がいたからである。……伊藤氏を正力さんに結びつけたのが、すなわちこの私だったのである。……発足五周年を迎えた、日本テレビの豪華な祝賀会が挙行された。正力さんの得意や思うべしである」(元読売社会部記者遠藤美佐雄「大人になれない事件記者」より)

だが、遠藤記者は、「しかし、この正力テレビのために、発足に尽力したのが原因となって、一生を棒に振った男のことを、この〝巨人〟は、思い出してもみなかったろう」(前出同著)と、怒るのである。彼は、その人柄もあってか、この融資あっせんを「社外活動である」と糾弾されて、社を去らなければならなくなる。

遠藤は、この件から、正力は「オレに恩をきている」と思いこんで、何かといえば社内問題で正力に直訴し、正力に次第にうとまれてくる。事実、日テレがスタートしてしまえば〝前進また前進〟の正力にとっては、読売の一記者遠藤などは、歯牙にもかけないであろう。

遠藤ばかりではない。伊藤斗福とて同様である。ことに、その保全経済会が、サギ団体とされてしまえば、なおさらのことである。伊藤の株が、どんな形で、誰に引き取られたかの詳細は知らない。しかし、前述したように、日テレの現経営陣は、誰一人として、個人株主ではなく、大株主はすべて、法人株主ばかりで、伊藤の名も消えている。伊藤はいま、千葉刑務所で服役中であるが、印刷工を日課として暮しているという。

大正力の偉業の成果は、文字通り〝一将功なって万骨枯る〟である。日テレにおけるが如く、「遠藤も伊藤も、〝万骨枯る〟の口である。従って、個人的に正力をウラんでいる人間が、意外に多いものである。