正力松太郎の死の後にくるもの p.342-343 結論として「正力タワー」は建たない

正力松太郎の死の後にくるもの p.342-343 報知から日テレ副社長へと移った亨は、福井社長を「福井クン」と、クン付けでよんだという。いうなれば、ハダカで副社長となっている亨の〝実情〟がこれ。タワー建設本部長の亨を助けて、誰が二百億もの金繰りができるか。
正力松太郎の死の後にくるもの p.342-343 報知から日テレ副社長へと移った亨は、福井社長を「福井クン」と、クン付けでよんだという。いうなれば、ハダカで副社長となっている亨の〝実情〟がこれ。タワー建設本部長の亨を助けて、誰が二百億もの金繰りができるか。

もっとも、私をしていわしむれば、万骨側は、正力の偉業への自己の貢献度を過大評価しているのだが、正力はそれほどに評価していないのであろう。正力への〝創意の人〟という賛辞に対しても、「アレはオレのプランだ。コレはアイツの案だ」として、ケチをつける人も多い。しかし、事業家というものは、他人のプランを昇華させて自己のものとし、それを実行にうつす力である。正力はその〝力〟をもっていた。顧みられない〝万骨〟の繰り言などには構っていられまい。

日テレの前社長清水与七郎もまた、正力を〝ウラんで〟いる一人である。読売の重役でもあったが、昭和二十八年創業以来、四十二年十一月に、専務の福井近夫現社長に追われるまで、実に十五年間も日テレ社長であったのだが、その間、福井派と対立、内紛に終始したというので、正力裁断で敗れた人物だ。

このような、そもそもからのいきさつがあるのだから、正力としては、これまた〝正力の日本テレビ〟であったのであろう。そして、正力の下には「組織」がない、と、前稿で指摘し、かつ、「正力亡きあと、正力コンツェルンから脱落、離反するものは、日本テレビ」と、記述した。

報知から日テレ副社長へと移った亨は、年齢もグンと違う福井社長をつかまえて、「福井クン」と、クン付けでよんだという。そのことで、福井もまた、内心、決して快からずとしていたらしい。

「組織」がなく、読売新聞からの、中堅的人材も送りこまれておらず、いうなれば、ハダカで副社長となっている亨の〝実情〟がこれだから、その上、粉飾決算の摘発ときては、もはや、日テ

レの運命は決った。

第一、例の正力タワーである。これまた、社会的にも、読売、日テレの両社内的にも、全く〝否定的〟雰囲気である。日テレ社内では、禁句にさえなっている。建設担当の大成建設幹部に会ってみても、読売の新社屋建設については、とうとうと語るけれども、こと正力タワーになると、にわかに、口が重くなってくる。

この時、タワー建設本部長の亨を助けて、誰が、二百億もの金繰りができるだろうか。務台は、本社新社屋の建設で、すでに二百億の金繰りに入っている。有楽町の現社屋の処分に関しても、タワーの金策を考えていた正力は、「売ってしまえ」といい、〝読売百年の計〟をめぐらす務台は、「売らないでも金はできる」と、意見が対立していたという。新聞関係の不動産を、タワーの金繰りに使用することは、務台が健在である限り無理なようだ。

すると、タワーを建てるためには、読売ランドの広大な土地ということも、思い浮ぶであろう。ここには、正力武が常務でいる。しかし、後述するが、大正力亡き現在、ランド首脳部に、リスクを敢えてするだけの〝忠誠心〟があろうハズもない。

結論として、「正力タワー」は建たない、ということである。理由は、その経済効率の問題からだ。〝会長の御意志〟は、〝御遺志〟となったけれども、それを継ぐべき人物はいない。

日テレの株主は、東洋信託七・五%、読売新聞七・四%、野村証券三・八%、光亜証券(注。

野村系)五・五%、読売テレビ五・○%の順で、読売系を合計して一二・五%の大株主となる。従って、読売から社長を送りこめるか、どうかというと、読売出身の社長では、亨と棒組にならざるを得ない。