事件記者と犯罪の間 p.154-155 まだヤマ(犯罪事実)をゲロ(自供)していないからだ

事件記者と犯罪の間 p.154-155 警視庁での調べの間、私は捜査官に「どうしても納得がいかない」と責められた。何故、私が十五年の記者経歴を縁もゆかりもない一人のグレン隊のために、棒に振ったか? という疑問である。
事件記者と犯罪の間 p.154-155 警視庁での調べの間、私は捜査官に「どうしても納得がいかない」と責められた。何故、私が十五年の記者経歴を縁もゆかりもない一人のグレン隊のために、棒に振ったか? という疑問である。

出所して自宅へ帰った私は、まず二人の息子たちを抱き上げてやった。ことに、逮捕と同時に

行われた家宅捜索から、早くも敏感に異変をさとり、泣き出してしまったという、三年生の長男には、折角の夏休みの大半を留守にしたことを謝ったが、新聞雑誌に取上げられた私の報道をみて、私が「グレン隊の一味」に成り果ててしまったことを知って、いささか過去十五年の新聞記者生活に懐疑を抱きはじめたのであった。

無職の一市民として、逮捕、警察の調べ、検事の調べ、拘禁された留置場の生活、手錠、曳縄など、いわゆる被疑者と被告人との経験を持ったということは、私が新聞記者であっただけに、又と得難い貴重な教訓であった。

失職した一人の男として、今、感ずることは、「オレも果してあのような記事を書いたのだろうか」という反省である。私の、長い記者生活は、それこそ何千本かの記事を紙面に出しているのであるが、私の記事の中に、あのような記事があったのではないか、ということである。

私は確信をもって、ノーと答え得ない。自信を失ったのである。それゆえにこそ、私は〝悪徳〟記者と自ら称するのである。一人の男が相手の男を拳銃で射殺せんとした——殺人事件である。だが、これが戦争という背景をもち、戦闘という時の経過の中で、敵と味方という立場であれば、話は別である。しかし、その〝射殺〟という事実には間違いはない。背景と時の経過と、立場なしに取上げられたのが、私の「犯人隠避」であった。その限りでは、私に関する報道には間違いがなかったのである。ところが、それに捜査当局の主観がプラスされてくると、もはや事実ではなくなってくるのである。

警視庁での調べの間、私は捜査官に「どうしても納得がいかない」と責められた。これが、「納得がいかない——理解してやろう」という好意で出てくる場合と、「納得がいかないのは、まだヤマ(犯罪事実)をゲロ(自供)していないからだ」という、下品な岡ッ引根性から出てくるものと、二通りあったのである。ところが、検察庁での調べになると「犯罪の構成要件さえガッチリと固めておけば良い」という態度である。納得がいくもいかないも、被疑者の心理状態など、全くお構いなしである。

捕えたものは起訴せねば……、起訴したものは有罪にせねば……の、ただそれだけのようである。もっとも、検事個人の人間的差はあるのだろうが、私は、ここに、司法官僚と内務官僚との宿命的対立の基盤になっている、何ものかを感じた。

何が納得がいかないか? これは調べが進むと同時に、捜査官の胸中に浮んできた疑問であった。何故、私が十五年の記者経歴を縁もゆかりもない一人のグレン隊のために、棒に振ったか? という疑問である。

調べの進展と同時に、私はグレン隊安藤組と過去において、何の関係もなかったことが明らかになった。事実その通りである。またどうしてもという義理ある人の依頼もないことが判ってきた。脅かされたという事実もなければ、ましてや、金で誘われたこともないと判明した。しかし、本人は勤続十五年の一流新聞を辞職している。末は部長となり、局長となると目された(?)人で、腕は立つ(?)のである。それが一ゴロンボーのために、名誉と地位と将来とを棒に振った

のである——納得がいかないのも無理もない。