最後の事件記者 p.324-325 ボクは新聞記者だからね

最後の事件記者 p.324-325 「男に生れて自分の仕事に倒れるなンて素敵じゃないか。男子の本懐これに過ぎるものはないさ」「男の生き甲斐はあるかもしれないけど、夫として、父としてどうなの?」
最後の事件記者 p.324-325 「男に生れて自分の仕事に倒れるなンて素敵じゃないか。男子の本懐これに過ぎるものはないさ」「男の生き甲斐はあるかもしれないけど、夫として、父としてどうなの?」

「ねエ、そのスパイの仕事、危いらしいじゃないの、大丈夫?」
もう、お腹の中の新しい生命は、胎動をはじめていた。
「判ンないさ。やってみなくちゃ。でも、こんなやり甲斐のある仕事は、そうザラにはないンだよ」
「どうして、あなたがやらなきゃならないの?」

「他にやる奴も、やれる奴もいないからだよ。それに、ボクは新聞記者だからね」

「新聞記者って、そんなにお仕事のために身体を張っていたら、幾つ身体があっても足りないわネ」

「男に生れて、自分の仕事に倒れるなンて、素敵じゃないか。男子の本懐これに過ぎるものはないさ。お巡りさんだってそうじゃないか。強盗が刃物を持っていて、危いから知らんふりはできないだろう。職業にも倫理があるンだよ。それに生き甲斐さ」

「男の生き甲斐はあるかもしれないけど、夫として、父としてどうなの?」

人の子の父

私はしばらく黙ってしまった。私は二歳の時に父に死別しているので、全く父親の味を知らずに成長した。兄弟は大勢いたが、やはり物足りなかった。小学生のころは、父親に手をひかれたよその子供をみると、シットを感じた。そんなせいで、私の〝人恋しさ〟の念は人一倍強く、愛憎がはげしい性格となってきた。

父がなかっただけに、母への感謝の気持も強かった。それを裏返すと、母への不満であった。二十歳の夜に男になろうと計画してみたり、アルバイトをしたり、学校を放浪したり、演劇青年を気取ったのも、そのためであった。

青年になってから、何度か恋をした。ある看板かりの芸者と深くなって、本気で結婚しようと

考えたことがあった。彼女は四つ年上で、その土地では一流の姐さんだった。ずいぶんと、若い私のために達引いてくれたのだが、熱中する私をおさえて、「出世前のあなただから……」といって、やはり芸者らしい道を去っていった。

しばらくあと、こんどは劇団仲間の女性と一緒になろうと思った。手一つ握り合わないうちに彼女は病死した。急に腹膜炎を起したのだった。

そして、戦局が激しくなってから、好きな女性がいた。しかし何もいわずに黙って出征した。外地へ向う最後の日、彼女はオハギを作って駅まできてくれた。私はサッパリとした明るい顔で一ツ星らしい敬礼をして別れを告げた。私は「戦死」を目標にしていたからだ。

残した母親のことは、他の息子にまかせればよい。何の系累もなくて、私は自分のことだけを考えればよい、気楽な気持だった。その女性とは、せめて一日でも、結婚してから出征したいとは思ったが、戦死者の妻にするのが可哀想だったのである。

どうして、そんなに私が〝人恋し〟かったのだろうか。私の希望は、私の子供に、私が子供の時に与えられなかった父親の愛情を、それこそフンダンに、惜しみなくそそいでやりたい——そんな、平和な家庭を作りたいと、幼年のころから考えていたからだった。

それを、今やキッパリとあきらめて、兵隊になったのだった。だが、幸か不幸か、私は生きて帰ってきて、新聞記者にもどったのである。そして、第一にみたされなかった幸福の夢——家庭をもって、人の子の父となることを考えたのであった。