最後の事件記者 p.326-327 私は自分の生命力に自信を抱いた

最後の事件記者 p.326-327 戦争で死んだ男たちをみると、運命といったようなものを信ぜざるを得なくなってくる。死ぬ奴は死ぬべくあった、と思われるフシがあるのだった。
最後の事件記者 p.326-327 戦争で死んだ男たちをみると、運命といったようなものを信ぜざるを得なくなってくる。死ぬ奴は死ぬべくあった、と思われるフシがあるのだった。

それを、今やキッパリとあきらめて、兵隊になったのだった。だが、幸か不幸か、私は生きて帰ってきて、新聞記者にもどったのである。そして、第一にみたされなかった幸福の夢——家庭をもって、人の子の父となることを考えたのであった。

戦争と捕虜を通して、私は自分の生命力と生活力とに自信を抱いた。戦争で死んだ男たちをみると、運命といったようなものを信ぜざるを得なくなってくる。死ぬ奴は死ぬべくあった、と思われるフシがあるのだった。

そこで結婚して、子供を計画出産するようにしたのである。だが、そのころから、私の新聞記者としての打込み方が、少し異常になってきたのであった。〝ニュースの鬼〟になったのであった。当然、家庭の夫として、父としての理想像からは、かけ離れてくるのだった。ことに、危険を覚悟の上で、体当りに仕事にぶつかってゆく取材態度は、私の経験則の父親の責任「人の子の父は、子供が巣立つまで健康であらねばならない」と、相反するのであった。

結婚前の私は、そんな家庭の理想を、妻に語ったりしていたのだ。だから、戦争前には放埓の限りを尽した私も、軍隊と捕虜とで、身も心も洗われた気持(実際もそうであった)で帰ってきて、同僚の誘惑にも負けず、キレイナ身体で結婚に入った。

結婚して一週間目の夜、同僚のN、S両記者と祝盃をあげた。呑むほどに酔うほどに、独身の両記者はヤリ切れなくなったらしい。ついに三人は、小岩の東京パレスという赤線に沈没してしまった。私をどうしても、二人が釈放してくれなかったのである。「オレたちの身になってみろ」というのが、その口説だった。

女と二人だけになった時、戦後はじめての、遊廓ではない赤線という名に変ったオ女郎屋風景に、私は物珍しくアチコチ眺めていた。つい思い出して、私は女に懇願した。

「実は、オレ。結婚一週間目なンだ。だから、いいだろう?」

戦前の遊廓であったら、こんなことは女にとっての最大の侮辱で、許さるべきことではなかったのである。だが、そこは戦後派だ、いとも簡単に許してくれた。

私は、シーツの上に女の腰ヒモを一本、真直ぐに引いて、ニヤリと笑った。帰宅して妻に話す時のたのしみを、作りたかったのである。女もうなずいた。おたがいの領地を決めたのである。

翌朝、雨がふっていて、バスの停留所まで濡れねばならなかった。NとSとは、背広のエリを立て、ズボンのもも立ちを取って、水たまりを避けながら、ピョン、ピョンとはね歩くという、みじめさだったが、私だけはダンナ面をして、相合傘で送られたのである。

スパイは殺される

そんなに潔癖な私だったのである。そのことは妻も良く知っていた。それなのに、夢中になって、この危険なスパイの仕事に打込んでいる夫を、理解しようとしているのだ。黙っている私に彼女はいった。

「もうじき、あなたの待ちこがれていた、あなたの子供が生れるのよ」

「ウン、ウソをついたことになりそうだ。だけど、何ていうのかな。会社のためでもあるんだけど、もっと大きな、新聞記者魂というか、業(ゴウ)というのか、俗っぽく一言でいえば功名心、そんなものが、ボクの心の中からうずいてくるンだ」