編集長ひとり語り第42回 野中のボキャブラリー

編集長ひとり語り第42回 野中のボキャブラリー 平成12年(2000)6月27日 画像は三田和夫38歳(ミタコン時代 溜池のオフィスか1959)
編集長ひとり語り第42回 野中のボキャブラリー 平成12年(2000)6月27日 画像は三田和夫38歳(ミタコン時代 溜池のオフィスか1959)

■□■野中のボキャブラリー■□■第42回■□■ 平成12年6月27日

総選挙が終わった——自公保が約40議席を減らしたことは、まだ物足りないが、マアマアとしようか。ただ、残念としかいえないのが、野中幹事長の命運をかけた「自民229」のラインを、わずかだが超えたことである。

野中はいった。「自民229を割ったら、幹事長として責任を取る。退路を断ったのだ」と。投票日の25日の新聞に出ている。さらに26日の朝刊。公明、保守に対する選挙協力が機能しなかったことで、また、いった。「万死に値する」と。

退路を断った。万死に値する。この2つの言葉の使い方は、まことにオカシイ。自民が229議席を取れなかったら、「退路を断って」幹事長としての責任を取る——幹事長として責任を取ることが、どうして退路を断つことになるのか。数日前の新聞に、幹事長をやめて、行革本部長をやりたいと、“放言”したことが報じられていた。229取れなかったら政治家をやめます、というのなら、退路を断つことにもなろうが、衆院議員のままで役職を変わることは、退路を断つにはならない。

この言葉、先の都知事選で、柿沢とかいうオポチュニストが、議員をやめる時に使った言葉だ。その柿沢は、チャッカリと今回出馬して、当選してしまった。呆れた奴であるし、それに投票した奴の顔が見てみたい。

もうひとつの「万死に値する」は、岩瀬達哉の力作「ドキュメント・竹下登 われ万死に値す(政治家・竹下登の『深き闇の世界』)」が、99年9月に発刊されたのだが、さきごろ、本人が亡くなったので、新聞報道でこの本が取り上げられ、題名が記載された。

つまり、野中のボキャブラリーは、新聞の見出しを失敬する程度で、彼の知性のほどが分かろうというもの。私が開票速報をハラハラしながら見つづけて、徹夜してしまったのは、自民が229を割った時の、野中の出処進退(出=官職につくこと。処=民間にいること。)を見たかったからである。

かつて、小沢一郎を悪魔とののしりながら自自公の時には「土下座して」と、豹変する野中の政治姿勢の、新しいサンプルが見られる期待があったのだ。言葉の貧しさといえば森首相もまた、野中に負けず劣らずである。さる6月12日、森は記者クラブの会見で、「(みなさんに)お訴えして…」といった。「訴える」という動詞の趣旨からして、「お」という美称や敬称がつけられる必然は、まったくないのである。

私の中学時代、「おニュー」という言葉があった。運動靴や服、シャツなどの新品を身につけると、英語のニューに、羨望や、揶揄をこめて、美称の「お」をつけて、「おニュー」といって、はやし立てたものである。英語のニューに、日本語の“お”をつけることは、デタラメもいいところで、軽蔑感を端的に表現したものである。なにしろ、旧制高校のダンディズム「弊衣破帽」が横行していた時代だから、新品を身につけることは、「おニュー」として、揶揄されるのである。

森の一連の失言はここにあげつらうこともなかろうが、自分の存念に理解を求めることを「訴える」のに、「お」をつければ、理解してもらうのにプラスだと考えたのか? リーダーの不可欠要件である「教養」が、まったく感じられないこの2人である。

今の自民党を牛耳っているのは、鈴木宗男党総務局長⇒野中幹事長⇒亀井政調会長のラインと、古賀国対委員長、村上参院議員会長、青木官房長官らのグループである。これらの連中の顔、面構えをトクとご覧あれ! 「教養」とは無縁の顔だ。

7月上旬には、新内閣がスタートする。その時にどんな人事になるか、見ものである! 平成12年6月27日