■□■アメリカはいつキレるか?■□■第57回■□■ 平成13年10月4日
さて、ここまで語ってきた「NO WAR」について、もう私の本音を話さねばなるまい。
そうでないと、入院しただけで、三田もボケてきたと思われそうである。
私の戦争体験は、わずか2年間。シベリアの捕虜生活を加えても4年に過ぎない。他の多くの人達のケースに見るまでもなく、いうなれば、その世界では駆け出しのうちであろう。
だが、その後の新聞記者生活もプラスされて、私のうちなる部分では、大きな蓄積になったと感じている。そのあたりから、「NO WAR」に対しても、純粋な想いがある。
これがもし、日本語で「戦争はイヤだ」「戦争反対」などと書かれていたら、どうであろうか!? 私には、その札を持っている人も、みんなの顔が眼に浮かんでくる。つまり、「戦争」とは、もう何の関係もない、主義、主張や、自分の都合で、そう唱え、そう叫ぶ人達である。すべての人がそうだとはいわないが、多くの人達がそうである。長い長い新聞記者生活の中で、そう感じてきた。
今度の、まさに筆舌に尽くしがたい“21世紀の戦争”といわれる事件で、私達の世代がもう半世紀も以前に捨ててきた、自爆ハイジャックの「特攻」という言葉や、東條首相の「聖戦」という言葉まで、生々しく想い起こさせられてしまった。ブッシュ大統領がやろうとしている陣構えは、“20世紀の戦争”さながらではあるが、中身は少し違う。
古い言葉でいえば、権謀術数、心理戦であり、神経戦である。まさに狼少年とロシアンルーレットがミックスされた感じなのだ。それはNHKの報道に端的に見える。イスラマバードの現地特派員は、「日に日に緊迫の度を加えて…」とあおれば、ワシントン特派員は「イヤイヤ、まだまだ…」と、抑えるといった具合だ。
今日でも、その緊張が静かに続いて、「NO WAR」の静かなポスターそのままの状態であるのは、うれしいことだ。アメリカも、ベトナムや湾岸戦争で、大人になったものだ。 平成13年10月4日