■□■アフガンもそろそろ幕引きの時期では?■□■第61回■□■ 平成13年11月6日
人間という動物は、なんと愚かなのだろうかと、アメリカのテロ報復と炭疽菌騒動の報道をみつめながら、つくづくそう感じた。社会的にとか、肉体的にとか、“無力な人間”は、それなりに賢いのだが、なまじ、権力、金力などの“力”があると、それを過信し、思い上がってしまうのである。
アフガンに地上軍投入という段階は、前から分かりきっていたことである。どうしてソ連のアフガン侵攻が失敗したか。その戦史をひもといてみなかったのか。第一、タリバン空爆の目的はなんなのか。ビンラディンのあぶり出しが、空爆だけで成功するか、とアメリカ軍部のお歴々が思ったのだろうか。不思議である。
空爆は、日本本土のように、人口が密で、それなりに施設がみちみちている場所であれば、効果もあがるだろう。一般人の厭戦気分も引き出せよう。だが、アフガンの報道で映し出される光景は、いうなれば、無人の荒野にもひとしい。これで、誤爆、盲爆とくれば、一般人の死傷が出て、反米デモの気勢もあがるというものである。
私の軍歴は歩兵であった。歩兵操典という教科書には、「歩兵は軍の主兵にして…」とあった。その後は忘れてしまったが、日露戦争の二〇三高地争奪戦では、乃木将軍はひたすら歩兵を投入し、やっと勝てたが、甚大な戦死者を出した。
ベトナム戦争もそうだったが、10年前の湾岸戦争で、クリントン大統領は、歩兵投入をためらい(母親達の反感を恐れた?)、敵大統領を殺すこともできなかった。結局、何の戦果もなしの結論だった。ナゼ、歩兵が軍の主兵かといえば、武器を持った連中が、敵地を占領し、相手にいうことをきかせてしまうからである。マッカーサーの日本占領もそうだった。
アメリカは、歩兵の悲惨な映画を何本も作った。第二次世界大戦のノルマンディ上陸作戦もそうだが、先頃の「プライベートライアン」などは歩兵の惨憺たる実情を描いて、私たち元歩兵に感動の涙をしぼらせた。タリバン対策だって、歩兵の大々的投入をしなければ、解決できないのは、自明の理であった。それがブッシュには理解できないのか。
もう少し身近な問題に例を求めようか。政局の焦点になっていた、選挙制度の改変もそうだ。公明党の議員数が、50人ほどから、先の選挙で30人に減った。そこで、怪しげな術策を弄したけど、モノにならなかったのだ。50人が30人に減ったというのは、それだけ支持されていない現実があるからだ。落ち目なのだ、ということを認識すべきだろう。なまじ、与党だという“権力”にすがるべきではない。
巨人の渡辺オーナーの、NHKでの巨人戦完全放送というのも、そのたぐいである。読売新聞一千万部発行という“権力”にすがって、魅力のなくなった巨人軍をなんとかしようというのは、公明党と同じである。
自治労の“金力”問題も、読売や公明党と同列だ。もっとも、稿を改めて書きたいのだが、読売の一千万部発行(印刷の誤り?)も、すでに崩れているのに、ABC部数は依然として、一千万部というのも、巨人軍と同じだろう。
さて、話を本筋に戻すと、アメリカは直ちに大量の歩兵を投入し、どんなに多くの犠牲が出ても、タリバンをコテンパンに叩いて、短期決戦に導くしか、この「古い戦争」を終わらせることはできない。これ以上、空爆を続けて、反米を盛り上がらせるべきではあるまい。
おりしもNHKは、2年前の「イスラム潮流」を4回にわたり放映した。その第3回は10月30日深夜だったが、在米イスラムの人々はアメリカの黒人たちをイスラムに改宗させて、気勢をあげていた。これが進んでいくと、一大事である。イスラム諸国を切り離したロシア。プーチン大統領のKGB上がりの険しい表情が、最近はなんと穏やかな顔つきになったことか。
日本でテロが起こされたら、「武器を持って闘う」という、ご意見の人物も、このコラムの読者にいるようである。公明党や巨人軍ほどの、それなりの“権力”があるのならまだしも、とても“力”とはいえない程度の力の人物は、どんな武器で、誰と闘うのか。そんな無意味な観念論をふりまわすぐらいなら、瀬戸内寂聴尼の「断食ニュース」でも、くり返し熟読玩味すべきである。 平成13年11月6日
◇◆編集後記◆◇
編集長も完全に復調したようなので、今号から復刊ではなく、通巻の号数に戻しました。今後ともよろしくお願いします。
編集長からも“オフ会”のお誘いの言葉をもらいました!
参加希望の方は直接メールをください。(編集発行人・田志偉)
——編集長の言葉 オフ会のお誘い——
入院前には、食事が取れず20kgも痩せてしまい、見るも哀れなシワシワのジジイになってしまいました。でも、退院後はキチンと食事をして、体力の回復を図っています。
私の著書のうち、残部のある物はプレゼントしたい(古本整理? 呵々)と思っていますので、ゼヒ、お出かけ下さい。茶飲み話でもしましょう。 三田和夫 平成13年11月6日