正力松太郎の死の後にくるもの p.102-103 もはや三大紙として認めてくれなくなった

正力松太郎の死の後にくるもの p.102-103 このような〝雰囲気〟に包まれていた昭和四十年ごろのことである。いわゆる「務台事件」が起きるのである。務台事件における現象面を追ってみよう。
正力松太郎の死の後にくるもの p.102-103 このような〝雰囲気〟に包まれていた昭和四十年ごろのことである。いわゆる「務台事件」が起きるのである。務台事件における現象面を追ってみよう。

それより数カ月も前のことである。テレビのクイズに「世界最大の発行部数を誇る新聞」というのがあった。解答者は「プラウダ」と答え、正解もまた「プラウダ」であった。正解のカネが鳴って、五分とたたないうちに、そのテレビ局の電話が鳴った。電話口では「世界最大の発行部

数を持つのは、読売新聞だ」と怒鳴っていたという。そして、不思議なことには、その番組の終りに、「プラウダは誤りで、正解は読売新聞でした」と、訂正されたという。

私が読売新聞社会部記者の出身であり、新聞を、そして読売を、こよなく愛するが故に、まず当時にさかのぼって、これだけの事実を提起するのである。

〝日本三大紙の雄〟と称し、称せられ、またそれだけの内容を持っていた、わが読売新聞は、ここ数年のうちに、内容、紙面ともに転落し、かくて、客観はもはや三大紙として認めてくれなくなったということが、ロストウの態度と、ポール、マック両氏証言でも明らかにされたのである。そして、「紙面で来い」という、記者気質と新聞の値打ちとの現実とは、アメリカ人にいわれるまでもなく、それを雄弁に物語っている。たとえ、テレビのクイズは訂正できようとも——

記事の魅力は五パーセント

さて、このような〝雰囲気〟に包まれていた昭和四十年ごろのことである。そしてこの〝雰囲気〟を背景に、いわゆる「務台事件」が起きるのである。ともかく、務台事件における現象面を

追ってみよう。

ここに数通のビラがある。読売労組教宣部で出した「組合ニュース」である。四十年の夏期手当をめぐる交渉委の経過を報じたものだが、その内容をまず、紹介せねばならない。

「交渉内容次のとおり。

組合——会社は〝ないソデはふれぬ〟の一点ばりだが、ランドの記事を見ていると、こんなところに金をつかっているではないかという、不信感がつのるばかりだ。

会社——いつもいうように、ランドには金は出ていない。しかし、ランドは新聞を伸ばすための事業であり、書くのは当り前だ。

組合——春闘のさい、会社は、新聞の公益性を守ると確約したのに、いっこう改まらないではないか。

会社——どれもこれも、新聞を伸ばすためにやっているのだ。「クジラ」がみんなの関心を集めるなら、「クジラ」を書くのも公益性に反するものではない。

組合——社の事業や宣伝も程度問題ではないか。「正力コーナー」もいぜんとしてつづいている。〝どうにかしてもらいたい〟という意見が、組合員だけではなく、読者の間からも強く

出ている。