正力松太郎の死の後にくるもの p.118-119 販売店を掌握した務台の金融手腕

正力松太郎の死の後にくるもの p.118-119 倒産の危機読売も、務台が復帰してくるや、たちまち〝不死鳥〟のように起き上った。分割支給で妥結したボーナスを一括支給に、タナ上げ退職金の支給開始までやる——務台の金融能力の実力を、まざまざと見せつけられた。
正力松太郎の死の後にくるもの p.118-119 倒産の危機読売も、たちまち〝不死鳥〟のように起き上った。分割支給で妥結したボーナスを一括支給に、タナ上げ退職金の支給開始までやる——務台の金融能力の実力を、まざまざと見せつけられた。

販売の神サマ復社す

だが、務台復帰後の読売の〝復興〟は目覚ましかった。その年の暮のボーナスは、組合との妥結条件で、三回の分割支払い、第一回だけを年内、残りは越年して、一、二月に支給するという、キビシイものだったが、会社側は、全額を年内に支給し終ってしまった。

そればかりではない。私が街角で出会った停年退職者の一人は、「話があるから、お茶でものもう」と、誘うのである。聞いてみると、タナ上げになっていた退職金が、一部支給されたのだという。「イヤア、あんたの記事のおかげで、退職金まで出たよ。ありがとう」

キツネにつままれた感じだったが、その前年の秋、私は読売の現状を心配して、月刊「現代の眼」誌九月号に〝正力さんへの直訴〟の形で、「読売新聞の内幕」八十枚を発表していたのだが、それが、彼のいう〝あんたの記事〟だったのである。

つまり、それこそ、倒産の危機にまで追いこまれていた読売も、前述したような経緯ののち、務台が復帰してくるや、たちまち〝不死鳥〟のように起き上ったのである。組合もまた、完全に務台ペースにひきずりこまれ、しかも、分割支給で妥結したボーナスを、一括支給にするなどの

スタンド・プレーから、タナ上げ退職金の支給開始までやるという、何も彼も、結構ずくめのことばかり——今更のように、務台の金融能力の実力を、まざまざと見せつけられたのである。

正力と務台との出会いは、今から四十年前の昭和四年、当時、全盛の報知新聞の市内課長であった務台を販売部長として迎えたのに始まる。こうして務台専務は、正力社主の女房として、販売一本槍で歩んできたが、今日の読売の大をなした正力も、務台あってのことであった。これら正力の各種の事業の成功のカゲには、読売新聞の信用と、販売店を掌握した務台の金融手腕があったればこそであろう。

その務台が、復社してから四年、あれほどの危機の中から読売は毎日を押えて、朝日と覇を競うにいたるのだが、その概況をみてみよう。

昨年秋のABCレポート(注。新聞雑誌販売部数考査機関。スポンサー、代理店、媒体側ともに会員となり、会費で運営され、広告料金の科学的適正を期するもの。オゥディット・ビューロー・オブ・サーキュレーションの略)の数字で、朝日との実数差四十万部という大まかな表現をとってきたが、その数字は改訂しなければならない。数字は44・1~4のABC部数であるが、これらの〝戦況〟を、業界紙「新聞展望」紙の記事によってみよう。

「前号で『朝日—東京—の下向き表情』を所報し、発行部数の落ちを伝えた原因として、読売に

反撃されたことを、第一原因とした。では、具体的にどのように、朝日と読売の部数がシノギを削っているかを、つぎに示すとしよう。〈太郎坊〉