ところで争議の解決後小生は前の話し合いにもとづき、専務として当然読売に復帰する筈でありましたが、実際にはそれが実現せず——その後幾多の紆余曲折を経て二十五年の二月に——平
取締役として入社することになったのであります。そして翌三月七日に開かれた読売七日会(各県の代表的有力店主の会)の席上で数年ぶりに復社の挨拶をいたしましたが、その話の内容が当時、業界紙の一つであった「新聞通信」に詳しく掲載されたのを記憶しております。ところが、その新聞を小生の友人が、偶然にも今日まで保存しており、先日現物を持参して来社され、曰く『これは君にとって当時を偲ぶ記念品であると思うが、読売にとっても、貴重な記録であるから、これをファックスにとって広く関係者に見てもらったらどうか』という話があったのであります。そこで早速再読いたしましたが、二十年後の今日からみて、反省と参考になる点が多々あるように思いましたので、言われるままに、改めて増し刷りをいたしました。
斯様な次第で、その一部を同封お届け申し上げますが、お暇の折にでもお読みいただければ幸いと存じます。
末筆乍ら時節柄ご自愛専一に愈々ご健勝にご活躍の程お祈り申し上げます。 敬具」
同封された業界紙「新聞通信」紙(25年8月11日付)は、第二面の全面を使って、「務台光雄氏 読売新聞復帰第一声」という、凸版の全一段通しの横見出し。頭に、「複雑怪奇な私の復社、正力社長反対の真相に就て」という、五段の二本見出しで、読売七日会(注。販売店主の会)例会における、務台の挨拶全文が記録されている。
「務台光雄氏が復帰して、始めての読売七日会は、都内読売会幹部も交えて、七日(注。25年3月)午後二時から、日比谷陶々亭に開催。当日地方から出席した販売店八木会長以下五名、都内野村会長以下三十一名、本社から馬場社長、安田副社長、武藤常務業務局長、小島取締役、務台取締役、菊池販売部長、村田出版局総務部長、その他各部長、各担当社員列席して開会」
と、本文記事があり、馬場社長と武藤常務の挨拶を簡単に紹介したのち、務台演説の全文となっている。
これには、務台の「新聞観」と、純一無雑な「読売への忠誠心」とが盛られている。そこに、務台がこのコピーを配付した意図がうかがわれるのであるが、同時に、掲載紙が新聞業界紙であったことから、それらを記事の重点とせずに、前半の人事問題にウェイトを置いて、そのような見出しをつけていることもあって、反響は意外な形で出てきたのであった。
まず、務台の「新聞」と、「読売」への愛情を、そのコピーによって見てみよう。
「水を飲みて源を思うは人の至情なり——事の成るには必ず成るべき理由と、依って来るところがあるのであります。いつか馬場社長が拙宅へ御出でになった時、いろいろと御話を承りましたが、その時私は新聞人の在り方について、即ち新聞人の根性について御話しをいたしたのであります。