正力松太郎の死の後にくるもの p.138-139 自己の全生命を読売に託す

正力松太郎の死の後にくるもの p.138-139 愛社心とは何か、それは理屈ではない、われわれのこの感情が偶々問題にぶつかった時、止むに止まれぬ力となって外に現われたものと思うのであります。
正力松太郎の死の後にくるもの p.138-139 愛社心とは何か、それは理屈ではない、われわれのこの感情が偶々問題にぶつかった時、止むに止まれぬ力となって外に現われたものと思うのであります。

新聞人はプライドを持たなければならない、いやしくも天下の大新聞の社長ともあろう者は、他の地位に、例えそれが総理大臣であろうと、また大政党の総裁であろうと、これに心を動かして腰がふらつくようでは仕方がない、新聞には別の使命があるからこれを通すという強い信念と、高い識見がなければならない、然もこのことは一般新聞人に対しても言い得ることだといって御話し、社長もこれには全幅の賛意を表されたのでありますが、新聞に従事する者は編集、業務各々立場は異るも、これを天職とし、これに殉ずる覚悟が必要と思うのであります。

その時私は更に進んで誠に僭越ではありましたが、次の御話しをしたのであります。

私は今でも読売新聞は自分のものであると思って居る、というのはこれは所有権の問題ではない、所有権は株主にあることは勿論であるが、それは所有権を遙に超越した力強いものである。所有権はこれを他に譲渡しようと思えば何時でもできるし、また一旦譲渡すれば全く関係のなくなるものであるが、われわれのこの気持というものは如何なる権力を以ても、また如何なる金力を以ても絶対に冒すことのできない、俗に血の繋りと申しましょうか、富貴も淫する能わず威武も屈する能わざるものであります、自己の全生命を読売に託すということ、そしてこれに生活の意義を見出すということ、考えればこれは極めて平凡なことでありますが、われわれ凡人はこれに大なる誇と無限の悦びを感ずるのであります、愛社心とは何か、それは理屈ではない、われわれのこの感情が偶々問題にぶつかった時、止むに止まれぬ力となって外に現われたものと思うのであ

ります。(中略)

(読売信条については)〝われわれは真実と公平と友愛を以て信条とする〟真実とは虚のないこと、作りごとのないことである。私が私の復社について極めて概略ではありますがその要点を御話し申上げたのは、坊間これにつき無責任なる噂がとんでおる。例えば私が読売に復社したのは、こんどは前の場合とは全然反対に正力さんの推せんによるものであるとか、あるいはまた務台は正力系を代表して入ったのであるとか、更に務台の立場は品川や清水と同じであるとか、その他いろいろ為にすると思われるような風説がとび、業界に誤解を生じているのであります。

併し私が読売に復社したのは、前にも申上げた通り馬場社長の御好意によるものであり、また品川、清水の両氏が読売の重役になったのは、正力さんの株を代表して入ったのに対し私の場合は復社の上重役になるということで復社に重点があり、重役は付け足りとは申しませんがこれは第二で、その他両氏の立場とは性質が全然異るのであります。かような次第でありますからこの間における事情を明にし、真実を御伝えするのが業界のためにも、また読売のためにも必要であって、これが私の義務であり、責任であると信じましたので申上げた次第で、全く他意はないのであります、従って私の話は神明に誓って間違いのないことを特に申上げます。

言うまでもなく新聞は社会の公器であります、これは株主のものでもなければ経営者のものでもない、また社員のものでもありません。