正力松太郎の死の後にくるもの p.250-251 朝日社会部の「六人の刑事」事件

正力松太郎の死の後にくるもの p.250-251 後者の伊藤の文章へ移ろう。彼はここで、弱い者は通常「市民」であると、極めて独断的な断定を下し、それによって、「弱い市民のためにキャンペーンするのはおかしい、とは賛成できない」と結論する。
正力松太郎の死の後にくるもの p.250-251 後者の伊藤の文章へ移ろう。彼はここで、弱い者は通常「市民」であると、極めて独断的な断定を下し、それによって、「弱い市民のためにキャンペーンするのはおかしい、とは賛成できない」と結論する。

「公正なる報道」とは、国民の基本的な権利である「知る権利」の代理行使である。つまり、新聞記者や新聞社が得ている、いろいろな特権(例えば、刑法の名誉棄損の免責条項など)は、知る権利の代理行使のために、国民が新聞人に許しているものであって、いうなれば、〝公僕〟である。記者は「知る権利」への奉仕者なのである。

ところが、伊藤は全くこれに答えていないではないか。それどころか、「入浴、踏み倒しの事実はない」という警視庁槇野総務部長談話に対し、「なぜ真実がいえないのか」という、T子さんの談話が同量つづく。両者の対立点が如何ともなし得ないので、最後までこうした扱いをするのならば、何故、初期のT子さんサイドの〝断定記事〟を、取り消すか訂正しないのか。

後者の伊藤の文章へ移ろう。彼はここで、弱い者は通常「市民」であると、極めて独断的な断定を下し、それによって、「弱い市民のためにキャンペーンするのはおかしい、とは賛成できない」と結論する。果して、警官対市民の関係で、弱いのは、市民だろうか? サツ回りの経験もある伊藤だが、築地八宝亭事件のあったころと、現在では全く違っている。遵法精神にみちた、〝善良なる市民〟は、私は、警官より強いと思う。伊藤のいう市民とは〝虞犯性〟市民か、犯罪容疑者のことであろう。それほど、警官は変ってきているのだが、伊藤は〝大〟朝日社会部長として納まりすぎて、現状にうとくなったのであろう。

借問するならば、では、新聞対警察の関係で、どちらが弱いか、警察対大学の関係で、通常どちらが弱いのか? 大学対新聞はどうか。まさに、藤八拳である。弱い強いが、六人の刑事問題の本質と何の関係があろうか。

伊藤は、この「抗議と反論」の結びで、こうもいう。「新聞批判は大いに結構であるが、それがためには、まず、事実関係の正しい把握と、その背景を十分理解したうえで、論評を加えて頂

きたい。無責任な第三者の談話や文章を、事実の裏付けなしに、そのまま引用することは、文章を書くものとして、厳につつしむべきことである、と強調しておく」(傍点筆者)

引用文を原稿用紙に引き写しながら、私は、フト、朝日の伊藤社会部長批判のための、私自身の文章のような錯覚におちいった。だがこれは、伊藤牧夫の文章であった。「宝石」に叩かれてみて、はじめて、この文章のようなイロハに気付いたのであろうか。〝わが身をつねって、他人の痛さ〟を知ったのであろうか。好漢、でき得べくんば、「六人の刑事」の事件以前に、この一文を草すべきであった。冒頭の〝新聞批判〟を、「警察批判」と訂正したうえで——。

こうしてみると、朝日社会部の「六人の刑事」事件は、如何とも正常なる判断力では理解し難いのである。理解し難いから、いろいろな〝風說〟が、したり顔の〝消息通〟たちによって流されるのである。板橋署の記者クラブから、朝日が除名されたシッペ返し〝説〟なども、その一つである。糸川ロケット然り、科学研究費、しかりである。キャンペーンなら、もっとスッキリした形のキャンペーンができないのであろうか。

決定的な点は、「宝石」の記事に対し、伊藤は当面の責任者でありながら、相手の片言雙句に文句をつけるだけで、キャンペーンの趣旨など、一つも本質論をやらない。これもオカしい。〝風説〟が多く流れるのは、疑惑があるから、理解に苦しむからである。

一部の読者は、「六人の刑事」キャンペーンを目し、朝日新聞の反権力闘争の一環として理解 しているようである。