正力松太郎の死の後にくるもの p.286-287 キャンペーン記事の〝現実〟

正力松太郎の死の後にくるもの p.286-287 渡辺は言下にいった。「六人の刑事? ア、ありゃマズい」「キャンペーンをやると、どうしてもデスクは一方的にクロ材料を求めて、取材記者がチラリ洩らした片言隻句を追う。そして、エスカレート」
正力松太郎の死の後にくるもの p.286-287 渡辺は言下にいった。「六人の刑事? ア、ありゃマズい」「キャンペーンをやると、どうしてもデスクは一方的にクロ材料を求めて、取材記者がチラリ洩らした片言隻句を追う。そして、エスカレート」

朝日に関して、〝偏向〟といわれているものの多くが、事実は「誤報」である。小和田が支持

する「伊藤社会部長の西部編集局長への〝栄転〟の背景」というクダリも、局次長とを間違える(前後から判断して校正のミスではないと思う)ほどのズサンさであるから、もっともらしい〝背景〟がありそうに書かれてはいるが、今まで批判してきたように、その代表例「板橋署六人の刑事」にみるように、誤報である。

渡辺は言下にいった。「六人の刑事? ア、ありゃマズい」

当時、朝日の紙面は沈滞気味であったので、少し、ハッパをかけようではないか、という声が編集幹部の間に起きてきた。その上意が下達されるや、伊藤社会部長は、得たりや応とばかり、華々しいキャンペーン記事を展開しだしたというのである。部長を補佐するデスク連も、〝沈滞打破〟を金科玉条と心得て、取材記者を叱咤激励するという状況になってきた。

「あなたも経験があると思うが、キャンペーンをやると、どうしてもデスクは一方的にクロ材料を求めて、取材記者がチラリ洩らした片言隻句を追う。そして、『そうだろ?そうだろ?』と、エスカレートしてしまい勝ちなものです」

渡辺は、一般論として、キャンペーン記事の〝現実〟をこう説明する。これでみると、やはり、朝日幹部の良識は、偏向と誤報との差違を認識していたということである。

「だから、キャンペーン記事への批判がでてきて、最近ではあまりやっていないでしょう」——とすると、元朝日記者佐藤信の指摘した通り、伊藤の一連のキャンペーンは、〝社内向け〟キャ

ンであるというのも、うなずけるようであった。私の得た印象では、幹部の意のあるところを取り違えた下の者が、とんでもない間違いをしてくれた、しかし、本人は一生懸命なのが認められるから、叱りおく程度ですませた、といった感じであった。人物でなかったというべきか、人を得なかったというべきなのか……。

「朝日ジャーナルは、私も創刊の企画に参画していたので、よく事情は知っているのですが、創刊の趣旨はあんなものではなかった」

渡辺は、質問に応えてさらにつづける。

新聞社の全般的な傾向として、出版局は本流ではないとされ、出版局勤務の社員は編集局へ行きたがる。朝日とて例外ではない。だから、出版局の部長クラス(編集長、デスク)はもちろん、記者とても、ことに、かつて編集局(注。新聞部門はすべて包含されて、こう呼ばれる)に勤務していた者は、なおのこと、〝成績をあげて〟編集へもどりたがるか、ヤル気をなくして出版局に埋もれるかの傾向がある。このような点について、渡辺にただしてみたところ「そうでしょうね」と朝日においても、その傾向がみられることに同意していた。

〝創刊の趣旨はあんなものではなかった〟という趣旨の発言は、渡辺も現在のジャーナルの編集のあり方に、肯定的ではないということである。「もともとは、たとえ儲からなくても、ヒドイ赤字にさえならなければ、新聞社の出す週刊誌らしい、程度の高い理論誌をというネライだっ

たのだが、当事者にしてみれば、返本率だの、採算点だのが示されている以上、〝売れる雑誌〟にしたいと意気込むのは当然でしょう」
小和田は「コマーシャリズム上からも商売にプラスしてきた朝日ジャーナル」と、コマーシャリズムを〝からも〟と二次的な評価をしているのだが、事実は〝売れること〟が、社内的な実情から第一義とされていることが明らかである。