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正論新聞・創刊号 昭和42年元旦号 1面
正論新聞・創刊号・風林火山
戦後のある時期に、バクロ・ジャーナリズムが、横行したことがあった。
「真相」という、反保守の雑誌が、保守系の代議士連中を、それこそナデ斬りにして、はじめのうちは、ヤンヤの喝采を博したものだった。が、やがて、その下品さがひんしゅくを買うにいたり、しかも、タネ切れでウソが多くなり、数十名の代議士の告訴で潰えさった。
また、すでに故人となったある参院議員のケースがある。
占領下の、引揚問題が重大な時、留守家族の支持で当選してきた彼の名は、毎日の新聞に大きく出ない日はなかった。その彼に女性関係のスキャンダルがあったらしい。
「青年新聞」という、革新系の新聞が、それを綿密に取材してきて、その記事を二十万円で買い取れというのに、参院議員は、自信に満ちて一蹴した。
新聞側は、「かかる議員にふたたび議席を与えるな」と、大見出しをつけ、八人の女の写真入り新聞を、その選挙区にバラまいたものである。
次の選挙で、婦人票の多い彼が、落選したのはいうまでもない。彼は不遇のうちに死んだ。
記者はいま、この創刊号の原稿をまとめながら、改めて、バクロ・ジャーナリズムということを考えてみる。
私利私慾が、私利私慾に分け前を強要するのに、活字という武器を使う——これが、バクロ・ジャーナリズムの姿である。
だが、今の時代ほど、本当の意味で、バクロを必要とする時代は、ないのではないか。
本物の味、本物の心。すべてに、本物の値打ちが認められない時代だからこそ、本物、つまり、ホントのことを、「知る権利」を持つ人々に、新聞人として「知らせる義務」がある。
刑訴法も刑法も知らず、〝エンピツ女郎〟が記事を書く。これが怪文書であり、バクロ・ジャーナリストだ。彼の人柄そのままに、下品で、尊大で、無恥で、無知だ。
記者は、読売社会部十五年のうちに、新聞人と自称できる、勇気と自信を与えられた。新聞が公器なればこそ、この〝育ての恩〟は、社会と次の世代に報ずべきである。
斬奸とか、筆誅とかリキむまい。あえて掲げよう。純正バクロ・ジャーナリズムの旗を!