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正論新聞・創刊号 昭和42年元旦号 1面

正論新聞 創刊号 昭和42年元旦号 昭和42年(1967)1月1日 1面 風林火山 葉たばこ輸入にも〝黒い霧〟 詐欺常習者にいつもの顔ぶれ 水野繫彦 児玉誉士夫 吹原弘宣 森脇将光 大橋富重 森清 永田雅一 川島正次郎 山口喜久一郎 桜内義雄 田中角栄
正論新聞 創刊号 昭和42年元旦号 昭和42年(1967)1月1日 1面 風林火山 葉たばこ輸入にも〝黒い霧〟 詐欺常習者にいつもの顔ぶれ 水野繫彦 児玉誉士夫 吹原弘宣 森脇将光 大橋富重 森清 永田雅一 川島正次郎 山口喜久一郎 桜内義雄 田中角栄
正論新聞 創刊号 昭和42年元旦号 昭和42年(1967)1月1日 題号
正論新聞 創刊号 昭和42年元旦号 昭和42年(1967)1月1日 題号
正論新聞 創刊号 昭和42年元旦号 昭和42年(1967)1月1日 コラム・風林火山
正論新聞 創刊号 昭和42年元旦号 昭和42年(1967)1月1日 コラム・風林火山

正論新聞・創刊号・風林火山

戦後のある時期に、バクロ・ジャーナリズムが、横行したことがあった。

「真相」という、反保守の雑誌が、保守系の代議士連中を、それこそナデ斬りにして、はじめのうちは、ヤンヤの喝采を博したものだった。が、やがて、その下品さがひんしゅくを買うにいたり、しかも、タネ切れでウソが多くなり、数十名の代議士の告訴で潰えさった。

また、すでに故人となったある参院議員のケースがある。

占領下の、引揚問題が重大な時、留守家族の支持で当選してきた彼の名は、毎日の新聞に大きく出ない日はなかった。その彼に女性関係のスキャンダルがあったらしい。

「青年新聞」という、革新系の新聞が、それを綿密に取材してきて、その記事を二十万円で買い取れというのに、参院議員は、自信に満ちて一蹴した。

新聞側は、「かかる議員にふたたび議席を与えるな」と、大見出しをつけ、八人の女の写真入り新聞を、その選挙区にバラまいたものである。

次の選挙で、婦人票の多い彼が、落選したのはいうまでもない。彼は不遇のうちに死んだ。

記者はいま、この創刊号の原稿をまとめながら、改めて、バクロ・ジャーナリズムということを考えてみる。

私利私慾が、私利私慾に分け前を強要するのに、活字という武器を使う——これが、バクロ・ジャーナリズムの姿である。

だが、今の時代ほど、本当の意味で、バクロを必要とする時代は、ないのではないか。

本物の味、本物の心。すべてに、本物の値打ちが認められない時代だからこそ、本物、つまり、ホントのことを、「知る権利」を持つ人々に、新聞人として「知らせる義務」がある。

刑訴法も刑法も知らず、〝エンピツ女郎〟が記事を書く。これが怪文書であり、バクロ・ジャーナリストだ。彼の人柄そのままに、下品で、尊大で、無恥で、無知だ。

記者は、読売社会部十五年のうちに、新聞人と自称できる、勇気と自信を与えられた。新聞が公器なればこそ、この〝育ての恩〟は、社会と次の世代に報ずべきである。

斬奸とか、筆誅とかリキむまい。あえて掲げよう。純正バクロ・ジャーナリズムの旗を!

正力松太郎の死の後にくるもの p.158-159 〝黒い霧〟スターたちの群れ

正力松太郎の死の後にくるもの p.158-159 そもそも、村山夫人と河野一郎との出会いは? と探してみると、同書一九八頁だ。大阪における新アサヒ・ビルの建設問題をめぐって、当時の経済企画庁長官だった「河野一郎との意気投合が始まる」とある。
正力松太郎の死の後にくるもの p.158-159 そもそも、村山夫人と河野一郎との出会いは? と探してみると、同書一九八頁だ。大阪における新アサヒ・ビルの建設問題をめぐって、当時の経済企画庁長官だった「河野一郎との意気投合が始まる」とある。

めまぐるしい転売といえば、すぐ思い浮ぶのは、大阪の光明池事件である。これまた、田中角栄代議士の日本電建が、東洋棉花との間でキャッチ・ボール式の転売、とどのつまり、四倍の高値で住宅公団が買いこんだという例である。これはもう一つ、広布産業事件というのがからんできて、東京相互銀行から一億円をダマシとった佐々木環(注。のちほど、板橋署六人の刑事が登場する)、吹原事件の大橋富重、さらには、児玉誉士夫までが登場する、いうなれば、『カゲの政界』オールスター・キャストの事件であった。

さて、とう本の重役陣をみてみると、まずトップに村山藤子氏。いうまでもなく、朝日新聞の由緒ある社主夫人である。続いて、河合良成、岡部三郎の両代表取締役が並ぶのだから、村山夫人は「会長」であろうか。

それから、キラ星の如くつらなる重役陣をトクと眺めて頂きたい。丹沢善利、同利晃父子、福島敏行(もちろん日通である)、小佐野賢治、永田雅一、川崎千春(京成)、江戸英雄(アア、名門〝三井不動産〟)、河田重(日本鋼管)、佐野友二(不二サッシ)、清水富雄、功刀 和夫といったところである。菊池寛実、土屋久男は、死亡で消されている。

社名でハハン、この重役陣でハハーン、うなずかれる方が多いに違いない。だが、村山家の当主夫人が、たとえ、有名な事業家とは申しながら、アサヒ・ビルやフェスティバル・ホール、病院などの経営ならともかく、関西から千葉くんだりの田舎まで出張って、〝黒い霧〟スターたち

の群れに投じられようとは!

このナゾトキを求めて、取材してみると、ヒントがみつかった。「朝日新聞外史」(細川隆元)一九四頁である。昭和二十八年の八月、永田大映社長と村山夫人が、事業のことで会談した際、「常務の永井大三が、近ごろ事ごとに社長にタテついて困る」という話が出た。かの有名な「朝日騒動」のプロローグである。永田社長は、朝日出身の河野建設相に相談して永井常務を朝日から追い出すのなら、公団副総裁あたりのポストを用意して、引退の花道をつくってやるべきだという。そして、同書二〇〇頁には、村山夫妻と、河野、永田の四者会談が開かれるクダリがある。

そもそも、村山夫人と河野一郎との出会いは? と探してみると、同書一九八頁だ。大阪における新アサヒ・ビルの建設問題をめぐって、当時の経済企画庁長官だった「河野一郎との意気投合が始まる」とある。

京葉土地開発の発足は、昭和三十八年八月である。〝河野学校〟の優等生たちに、会長にとカツがれたのは、この「河野との意気投合」だけのエンではない。このグループの中の、巨頭に「朝日新聞に巣喰うアカたちの追出しをお手伝いしましょう」と、まンまと言い寄られたのだといわれる。

だが、この会社は、総額五百億ほどの事業計画だけは樹っているのだが、船橋付近の漁業補償がまとまらず、まだ何も仕事をはじめていなかった。事務所も、河合社長の小松製作所ビルに移

って、時到らばと、村山夫人の利用を待っている。

読売梁山泊の記者たち p.012-013 池島信平社長が会いたいと

読売梁山泊の記者たち p.012-013 「ウン、原稿はオモシロイけれど、社長としての、オレの頼みがあるんだ。あの、児玉誉士夫のことを書いた部分が、三十枚あるんだ。この部分をオレに免じて、カットしてくれよ」
読売梁山泊の記者たち p.012-013 「ウン、原稿はオモシロイけれど、社長としての、オレの頼みがあるんだ。あの、児玉誉士夫のことを書いた部分が、三十枚あるんだ。この部分をオレに免じて、カットしてくれよ」

九頭竜ダム疑惑に関わった氏家、渡辺

「アイ・シャル・リターン!」

この言葉は、マッカーサー元帥が、日本軍に追われて、フィリピンを脱出する時の、有名な言葉である。そして、マ元帥は、その言葉を実行した。

読売新聞広告局長、氏家斎一郎もまた、日本テレビに出向してゆく時、離任の挨拶で、「アイ・シャル・リターン!」と叫んだが、彼はついに再び読売新聞に、その名を刻することはなかった。

私は、昭和十八年十月一日の読売入社。四年の兵隊、捕虜で、二十二年十月復員、復社した。社会部一筋で、三十三年七月、横井英樹殺害未遂事件で、安藤組員の犯人隠避事件を起こして、自己都合退社した。のち、昭和四十二年元旦から、独力で「正論新聞」を創刊、二十五年が経過して、現在にいたっている。

そして、氏家と具体的に関係のできたのが、読売を退社して、正論新聞を創刊してからであった。

読売を退社してから、私は文筆業として、原稿を書き出していた。だが雑誌原稿で生計をたてることの難しさは、すぐにやってきた。

警視庁の留置場に、妻からの連絡で月刊「文芸春秋」誌に「安藤組事件の原稿を書いてくれ」という、依頼があったので、二十五日間の生活が終わって、保釈出所すると、すぐ田川博一編集長に会いにいった。

「タイトルは『我が名は悪徳記者』で、サブ・タイトルは事件記者と犯罪の間、でいきましょう。何枚でもいいです。書きたいだけ、書いてみてください」

田川は、話が終わったあと、語調を変えていった。

「三田クン、西巣鴨第五小学校の六年生で、一年間一緒だった田川だよ」

「ア、転校してきた、田川!」

意外な縁に驚きながらも、私は百五十枚の原稿を書いた。と、田川から社に来てくれ、という電話があった。

「原稿、ツマランですか?」

「イヤ、おもしろいんだよ。だけど、池島信平社長が会いたい、と…」

その話も終わらないうちに、ドアをあけて、池島が入ってきた。

「オイ、三田クン、キミは五中だナ」

「ハイ、十六回卒業です」

「オレは、第一回、先輩だよ」

「ハイ、お目にかかるのは初めてですが、読売の竹内社会部長も第一回卒ですので、お名前は存じあげてました」

「ウン、原稿はオモシロイけれど、社長としての、オレの頼みがあるんだ。あの、児玉誉士夫のことを書いた部分が、三十枚あるんだ。この部分をオレに免じて、カットしてくれよ」

読売梁山泊の記者たち p.014-015 中央に児玉右側に渡辺恒雄

読売梁山泊の記者たち p.014-015 児玉邸の二階。中央に児玉、右側に読売政治部記者・渡辺恒雄と、彼が連れてきた中曾根康弘。緒方に一足遅れて、読売経済部記者・氏家斎一郎と、その同伴者、電源開発副総裁・大堀弘が左側に。児玉がいった。「ウン、これで役者は全部揃った。金は持ってきたな。」
読売梁山泊の記者たち p.014-015 児玉邸の二階。中央に児玉、右側に読売政治部記者・渡辺恒雄と、彼が連れてきた中曾根康弘。緒方に一足遅れて、読売経済部記者・氏家斎一郎と、その同伴者、電源開発副総裁・大堀弘が左側に。児玉がいった。「ウン、これで役者は全部揃った。金は持ってきたな。」

その話も終わらないうちに、ドアをあけて、池島が入ってきた。

「オイ、三田クン、キミは五中だナ」

「ハイ、十六回卒業です」

「オレは、第一回、先輩だよ」

「ハイ、お目にかかるのは初めてですが、読売の竹内社会部長も第一回卒ですので、お名前は存じあげてました」

「ウン、原稿はオモシロイけれど、社長としての、オレの頼みがあるんだ。あの、児玉誉士夫のことを書いた部分が、三十枚あるんだ。この部分をオレに免じて、カットしてくれよ」

「……」

「ナ、いいだろう?」

「ハ、ハイ」

私は、読売記者のカンバンを外してからの、第一回の作品で、早くも、新聞社と雑誌社の違いに、直面したのだった。…が、内心、池島の話のもっていき方のウマさに、驚いていた。

「アノ部分も載せたいけれど、オレに面会を求めてくる連中が、ウルサイんだよ」

そして、「財界」誌。さらに、「現代の眼」誌…。私が書く時事モノは、媒体各社でトラブルが続出した。ホントウのことを書けば、モメるのだ。

…そして私は、ついに、雑誌に原稿を書くことに、限界を感じていた。自分がライターであり、エディターであり、パブリッシャーであること…それ以外に、真実は書けない、と。

そうして、私は「正論新聞」の創刊を考えた。紙面の目玉は、児玉キャンペーン。昭和四十一年の〝黒い霧〟解散のころ、児玉の勢力の絶頂時代に、まさに、蟷螂(とうろう)の斧を振るわんとしているのだった。

その第四号。昭和四十二年八月一日付で「九頭竜ダム疑惑」を取り上げた。水没補償問題で、政治家を渡り歩いていた、緒方克行という男(のちに、「権力の陰謀」という著書を出して、真相をブチまけた)に出会って、詳しい話を聞いたからだ。

十二月二十七日、児玉から緒方に電話があって、「話のメドがついたから現金一千万円を持ってこい」という。

児玉邸の二階。中央に児玉、右側に読売政治部記者・渡辺恒雄と、彼が連れてきた中曾根康弘。

緒方に一足遅れて、読売経済部記者・氏家斎一郎と、その同伴者、電源開発副総裁・大堀弘が左側に。児玉がいった。

「ウン、これで役者は全部揃った。金は持ってきたな。(一千万円のうちから、三百万円を取り出し)この分はこの男(渡辺を指した)の関係している、弘文堂という出版社の株式にするからな」

緒方の話を聞いていて、私は考えこんでいた。渡辺も氏家も、交際はなかったものの、顔見知りの仲である。果たして、書いたものか、どうか。私情ではなくとも、いきなり背後からバラリ、ズンと斬れるものではない。

妙案が浮かんだ。かつての社会部長で、七年間もその下で仕事をした原四郎が、二人の上司で編集局長である。

「そうだ。原チンに下駄を預けよう」

読売に原を訪ね、「九頭竜ダムを取材していたら、渡辺と氏家の名前が出てきたんです」

緒方の話を詳しく伝える間、原は黙って聞いていた。聞き終わって、

「お前、その話はホントか?」

「部長、イヤ、局長。あなたは七年間も使っていた私の、取材力を疑うんですか。ホントか、はないでしょう!」

しばらくの沈黙ののち、原は「本人たちの話を聞いてからにしよう」と、その日の結論を出した。

読売梁山泊の記者たち p.044-045 英雄豪傑気取りの野心家たち

読売梁山泊の記者たち p.044-045 竹内は、まわりをかこんだ、若い記者たちの顔を、眺めながら、つけ加えた。「…ただし、良心が痛まなければ、の話だ」
読売梁山泊の記者たち p.044-045 竹内は、まわりをかこんだ、若い記者たちの顔を、眺めながら、つけ加えた。「…ただし、良心が痛まなければ、の話だ」

またまた、みんな笑った。笑いの静まるのを待って、竹内は、真顔に立ち戻って、こういったのであった。

「いいか、新聞記者には、記事にからんで、誘惑は多い。しかし、小銭には、手を出すなよ。小銭を出す奴は、小銭に見合う、小悪事 (こあくじ) なんだ。だから、口も軽い。必ず、『アノ記者は、オレが飼っているンだ』と、しゃべる。その話が、社に入れば、当然クビだ。合わない話よ。

金を取って、記事をツブす。あるいは、ウソを書く。こりゃ、汚職だ。自分の仕事を、辱めるものだ。だから、大銭(おおぜに)で、社をクビになっても、引き合うなら、金を取ってもいいゾ。大銭を出す奴は、大悪事だから、絶対にしゃべらん。社にバレる前に辞めればいい」

竹内は、まわりをかこんだ、若い記者たちの顔を、眺めながら、つけ加えた。
「…ただし、良心が痛まなければ、の話だ」

昭和二十三年当時、のちに、三和銀行の頭取、会長にと進む、渡辺忠雄が、まだ、日銀の文書局長だったころ、だと記憶する。

もしも、私があの時、日銀輸送課長の<小銭の誘惑>に負けていたら、のちに、報告を受けた、渡辺文書局長は、「読売三田記者」を軽蔑して、のちのち、正論新聞の応援は、してくれなかったことだろう。

四十年も前の時代には、「痛む良心」を持った男たちばかりの時代だったのである。

リクルート疑獄などを見ていると、政治家も、官僚も、まして、NTTの真藤を見て、どうして、〝小銭〟のワイロを取るのか。藤波代議士など、どうして、家の資金に〝小銭〟を取るのか。<良心>

などは、どっかに捨ててしまっていたのだと、竹内社会部長の、この言葉を思い出す。

私は、私の初の署名記事「シベリア印象記」を見て、同じ部隊の兄を探して、社にたずねてきた女性が、同期生の妹だと知って、結婚を決意した。

竹内に仲人を頼み、逗子のお宅に、奥様に挨拶に行った。剛腹な竹内らしい、明るいさばけた夫人だった。家庭での竹内には、社では見られない、人間への愛情に満ちた、包容力の大きさを示す、別の顔があった。

口数が少く、どちらかといえば、部下のデスク、ことに、筆頭次長の森村正平に、すべてをまかせ、部長として、デンと安定感のある竹内には、社内では、〝無能の竹〟という悪口も聞かれた。

いま、当時の名簿を見ると、五人の次長、三人の主任以下、三十三人の先輩が、私の前に並んでいて、その名をひとり、ひとり、読んでゆくと、いずれも、英雄豪傑気取りの野心家たちばかりである。

出張すれば、女郎屋に泊まって、そこから取材に歩き、日本テレビの創業時に、保善経済会の伊藤斗福に四億円を出資させた、遠藤美佐雄。彼は、のちに、社を追われて、森脇文庫から、「大人になれない事件記者」という単行本を出して、日本テレビ創業のウラ話を書いた。

この本は、私の手許に一冊残っているが、森脇と読売との間で和解し、本はすべて断裁されたことになっている。彼は、世田谷の大原に住んでいたが、「この家は、児玉(誉士夫)にもらったんだ」と、こともな気にいい放つ。

黒幕・政商たち jacket flap カバーそで

黒幕・政商たち jacket flap カバーそで 惹句:暴かれた政・財・官界の著名人たちの仮面!
黒幕・政商たち jacket flap カバーそで 惹句:暴かれた政・財・官界の著名人たちの仮面!

暴かれた政・財・官界の著名人たちの仮面!

マイ・ホームの夢を喰う、住宅公団汚職。大銀行を舞台の取り屋の暗躍。国民の血税を吸って太る企業。——これらのマスコミでは報道されない色と欲の裏街道で、陰の主役たちは、何をもくろみ、何をしているのだろうか? 高級官僚群と政、財界人たちとの驚くべきつながりを、事実に即して描く異色のリポートである。

本書に実名で登場する著名人は600余名にのぼるが、なかでも佐藤栄作、川島正次郎、田中角栄、中曽根康弘の各氏や、児玉誉士夫、稲川角二、植村甲午郎、足立正、藤井丙午、水野成夫など、日本を動かす実力者たちの素顔が巧まずして描き出される。

黒幕・政商たち p.044-045 右翼、暴力団の大同団結を

黒幕・政商たち p.044-045 韓国政界の〝黒幕〟でもある金鐘泌氏が、日本政界の〝黒幕〟といわれ、右翼の巨頭と称せられる児玉誉士夫氏と会見し、日韓交渉の推進と、そのための右翼の決起とを要望したという。
黒幕・政商たち p.044-045 韓国政界の〝黒幕〟でもある金鐘泌氏が、日本政界の〝黒幕〟といわれ、右翼の巨頭と称せられる児玉誉士夫氏と会見し、日韓交渉の推進と、そのための右翼の決起とを要望したという。

韓国銀行経済統計年表によると、米国の対韓援助額は、AIDと余剰農産物合計で、六〇年二億四千五百万ドル(余剰農産物千九百万ドル、以下同じ)、六一年一億九千九百万ドル(四千四百万ドル)、六二年二億三千二百万ドル(六千七百万ドル)、六三年二億一千六百万ドル(九

千六百万ドル)、六四年一億四千九百万ドル(六千一百万ドル)=以上いずれも百万ドル以下切捨て=とある。

一方、日韓条約が成立すると無償供与三億ドル、政府借款二億ドル、民間借款三億ドル以上という、「経済協力」が、韓国へ支払われる。

この政府供与分は十年間の分割で、「日本国の生産物と日本人の役務」をドル換算で支払われるが、実際の現金は、韓国へ手渡されるのではなくて、日本政府から日本財界へ素通りするわけである。

この辺が、見方をかえれば、「経済協力」から、「経済侵略」といわれる所以であり、アメリカの対外援助と同様である。

東洋棉花という会社は、古くは三井物産の棉花部が独立した会社である。今、数十年の歳月を経て、一方はAIDの不正にくみしたとして、刑事訴追を受け、一方はAIDの黒幕に妨害されるという事態が、同じ韓国を舞台に展開されているのも、〝因果はめぐる小車〟であろうか。

治安当局の情報はいう。

「韓国政界のナンバー・ツーであり、〝黒幕〟でもある金鐘泌(キム・ジョンビル)氏が、まだ失脚前のこと。来日のさいに、日本政界の〝黒幕〟といわれ、右翼の巨頭と称せられる児玉誉士夫氏と会見し、日韓交渉の推進と、そのための右翼の決起とを要望したという。そして、その資金は? という質問に対して、金氏は、八億ドルにのぼる対韓協力のリベートを流す旨、答えたというんだ」

「フーン。それで児玉氏は?」

「そこで、日本中の右翼、暴力団の大同団結をと、児玉氏は檄を飛ばしたのだ。もちろん、金氏とは親しい元東声会の大親分、町井久之こと鄭建永氏も、児玉先生という仲だから、双手をあげて賛成した」

「で、どうなった?」

「ところが、西日本を握る山口組、田岡親分が、この檄に応じない。…で、遂に〝右翼・暴力団〟の大同団結はならなかったのだ」

「それが、例の〝関東会〟なのか?」

「そうだよ。本来は某一流紙の記者の紹介で相識った、金・児玉会談で、日韓両国の民間反共組織として、『東亜同志会』をつくろうとしたのだ。この資金には、児玉氏が韓国ノリのリベートをあてると演説している」

「山口組が参加しなかったので、東亜同志会が流れて、関東会になったというわけだ」

私は、係官と別れて、現場の商社筋を調べだした。某社の幹部はこういう。

黒幕・政商たち p.046-047 〝政商〟の暗躍する余地がある

黒幕・政商たち p.046-047 ハゲタカのように、援助や協力の美名のもとに「国際利権」に喰いついていた政治家、実業人、ギャング、そしてその他の職業の著名な人物たち
黒幕・政商たち p.046-047 ハゲタカのように、援助や協力の美名のもとに「国際利権」に喰いついていた政治家、実業人、ギャング、そしてその他の職業の著名な人物たち

「山口組が参加しなかったので、東亜同志会が流れて、関東会になったというわけだ」

私は、係官と別れて、現場の商社筋を調べだした。某社の幹部はこういう。

「発展途上国(前出『経済協力』白書の言葉)の貿易は、仲々むずかしいンです。当該政府関係へのコミッションなど、二割ほども乗せさせられるのが、常識だったりして……。そこに〝政商〟の暗躍する余地があるンですよ。もしも、その政権が倒れて、反対党が握った場合、『あの商社はこんな高いものを売りつけた』と、ニラまれる恐れがある。コマーシャル・プライスは一億円で、我が社は立派な商売をしていても、相手国には一億二千万円の、ポリティカル・プライスの書類という証拠が残っているンです」

東棉の裁判が進行し、三井物産の建設がはじまれば、やがて事態は明らかにされてゆくであろう。

日米韓三国の〝政商〟をはじめとして、ハゲタカのように、援助や協力の美名のもとに「国際利権」に喰いついていた政治家、実業人、ギャング、そしてその他の職業の著名な人物たちの〝醜状〟が——。

第3章 〝タバコ〟そのボロイ儲け

昭和四十三年。十月八日付毎日新聞朝刊=阪田泰二氏(前日本専売公社総裁)七日午後八時二十分、肝性こん睡のため、東京千代田区駿河台の杏雲堂病院で死去。五十八歳。

昭和六年東大法卒、大蔵省にはいり、同二十四年東京国税局長、同二十八年理財局長、同三十六年日本専売公社総裁となり、四十年七月の参院選挙のさい、小林章議員派の公社ぐるみの違反で、同年十月引責辞任した。

黒幕・政商たち p.208-209 川島正次郎氏を〝パパ〟と呼ぶ

黒幕・政商たち p.208-209 毎日の写真は、児玉誉士夫氏から入っているが、朝日は児玉氏は入らず、週刊新潮も「詐欺常習者にいつもの顔ぶれ」と題して掲載したが児玉氏がカットされていた。
黒幕・政商たち p.208-209 毎日の写真は、児玉誉士夫氏から入っているが、朝日は児玉氏は入らず、週刊新潮も「詐欺常習者にいつもの顔ぶれ」と題して掲載したが児玉氏がカットされていた。

デビ夫人が「パパ」と呼ぶ人

さて、こうして、各種のケースを眺めてみると、〝政治家と結んだ虚業家〟の像が、ハッキリと浮んでくる。旧聞だが、スカルノ氏にミス明眸金勢さき子さんを献じた木下商店や、それ

を真似たデビさんの東日貿易久保正雄社長なども、好適例であろう。そして、デビさんは、やがて川島正次郎氏を〝パパ〟と呼ぶようになる。しかし、最近でいうならば何といっても、四十一年暮の「東京大証」事件である。そして、毎日新聞は、十一月二十九日朝刊に、「政治家の顔、また登場」と、水野社長の結婚披露宴の、メイン・テーブルの写真をスクープした。朝日は十二月三日付朝刊で、毎日の写真と角度をかえて、「波紋描く詐欺師の祝宴」と同様な〝証拠写真〟を報じた。

毎日の写真は、左手前なので、児玉誉士夫氏から入っているが、朝日は右手前からで児玉氏は入らず、後を追った週刊新潮も「詐欺常習者にいつもの顔ぶれ」と題してこの写真を掲載したが児玉氏がカットされていた。

詐欺師と政治家——この奇妙な交際を確認するため、ここでは、一昨年の吹原——森脇——大橋富重——田中彰治事件と、こんどの大証事件にいたるまでの、「週刊新潮」誌のサワリをひろって、なぞってみた。

〝黒い霧〟周辺の人言行録

「吹原さんの共犯者みたいにいわれている黒金もほんとうは被害者でそれも大平さんなんかよりもずっと大きい被害者なんですのよ。黒金の女性関係までウワサされているようですが、あのウワサされている方(注=吹原ビル地下の喫茶店〝絵美〟の女経営者で、元新橋芸者であった南雲美奈江さんのこと)は、ほんとは黒金のじゃなく、黒金の友人のなのですよ」(黒金泰美氏夫人)(週刊新潮四十年五月十七日号)

元新橋の芸者で今はレストランのマダムに納まっているI女史がズバリ。

「黒金さんの奥さんが喜美代さん(美南江さんの新橋時代の源氏名)は黒金の友人の二号さんだというようなことをいってるらしいけど、あれはいけませんねえ。他人に迷惑かけることですわ。黒金さんの友人なんていったら、大平さんとか前尾さんが疑われますよ。喜美代さんが黒金さんの二号さんだということはハッキリしていることだし、子供もいることなんだから、ああいういい方をしてはいけませんよ」(週刊新潮四十年六月十九日号)

事件の方向転換に、結果的に片棒をかつぐことになった大橋富重氏の「問題の経緯」に関する話を聞いておこう。「今度の発表(地検の)では、森脇さんの金利違反脱税をまるでぼくが 裏付け、そっちへホコ先を向けるのに一役買っているようだ。——といわれてもあれは森脇さんが(地検に)ご自分で持ってった書類から出たんでしょう。