を求められた。元憲兵として有名な四、五人の名前を報告したところが、〝これだけしか知らんのか〟と嘲笑され、収容所をタライ廻しされた(チェレムホーボ)、同様の命令で、すでに検束された元憲兵四、五人の名前をあげてゴマ化そうとしたら、二つ、三つビンタを喰い、営倉に入れられ、一日四五〇グラムのパンと水だけの生活が、二カ月も続いた(ライチハ)という例でも分かるように、報告は厳重に要求していた。
従って、ここに同胞相喰む悲劇の源があるのであって、自己保身のため、無実の同胞を、虚偽の密告に苦しめるという、〝幻兵団の悲劇〟が、続々と起こったのである。樺太の阿部検
事正、永田判事らの非業な最期など、その代表的なものであろう。しかし、これら密告者たちに、各種の脅迫をもって、その報告を強要した、より大きな責任者のいることを見逃してはいけない。——
Ⓑは、在ソ間には、全く飼い殺しで、ただ報酬を与えられて、報告提出の義務はなかった。月一回程度の呼び出しの際には、思想係将校と、思想、政治関係の雑談に、一時間ばかりすごしてくるだけだった。これは、ソ連への忠誠の確かめと、ただ不労所得の大金を得ることが度重なることによる、心理的束縛感を深め、裏切りを予防することが、目的であったようだ。