黒幕・政商たち p.018-019 「三矢研究」機密文書が外部流出

黒幕・政商たち p.018-019 さる四十年二月十日の衆院予算委で岡田春夫議員の行った「三矢研究」の質問に端を発した、「三矢事件」である。
黒幕・政商たち p.018-019 さる四十年二月十日の衆院予算委で岡田春夫議員の行った「三矢研究」の質問に端を発した、「三矢事件」である。

これだけをみるならば、いわば〝業界の研究機関〟もしくは、〝業界の内報屋〟にすぎないものであるが、テーマが「国防」とあって、しかも一流財界人をはじめ、現職の防衛、外務両大臣までが加わっているとあっては問題が大きくなってくるというのも当然のことである。

設立趣意書の中、筆者傍点の部分、「優れた研究スタッフ」と「豊富な情報調査網」とが、月五千円の会費で買えるならば、「わが国の安全保障問題」イコール「国防」イコール「軍事機密」と見てくれば、この調査会が、治安当局の注目を集めるのは、これまた当然のことである。そして、関連して思い起されるのは、さる四十年二月十日の衆院予算委で岡田春夫議員の行った「三矢研究」の質問に端を発した、「三矢事件」である。

「三矢研究」の内容その他を問題にする岡田議員に対し、どうして「三矢研究」という機密文書が外部に流出したかを問題にして、そのルートを調査しようというのが、「三矢事件」である。

これは、国家公務員法の百条に当る、自衛隊法五十九条の「秘密を守る義務」違反被疑事件であるからだ。

もっとも防衛庁の機密ろうえい事件はまだ他にもあった。三十九年三月、参院予算委で共産党の岩間正男議員が、「防衛力整備に関する基本的見解」(昭和三十八年八月、空幕作成)を暴露したのに始まり、「同見解」と「臨時国防基本法(私案)」(三十八年十月、空幕作成)の二つが、作家松本清張氏の筆によって、文芸春秋誌九月号「防衛官僚論その一」に掲載され、さらに、同誌十一月号「同その三」で、「三矢研究」(三十八年度総合防衛図上研究)のうち「三十八年度、陸上自衛隊指揮所演習」(同年二—六月、陸幕作成)と、「昭和四十年、統合年度戦略見積り資料」(三十九年統幕作成)を公表してしまった。

疑問を残して迷宮入り

これらは、いずれもトップ・クラスの機密文書であるから、防衛庁としては、その流出ルートを究明するということは重大な問題であり、もちろん、内部問題として、陸上自衛隊中央調査隊が、しかるべく捜査中であったところに、この岡田議員の第四回目のバクロが行なわれたのだった。

岩間議員への流出ルートとして、中央調査隊が割り出したのは、第一回、第二回のバクロの二文書が、いずれも空幕作成のものだけだったので、市ヶ谷の空幕幹部学校の秘密文書の印刷所であった。そして、そこに公然とタッチできるO事務官の身辺に、捜査の焦点が絞られた。だが、O事務官はウソ発見器にかけられても、強引、かつ徹底的に否認しつづけ退職してしまった。

O事務官から岩間議員までの、流出ルートは十分に推測されたが、物証の裏付けを得られないまま、調査隊は断念せざるを得なかったが、さらに第三回、つまり松本清張氏の第二回目に陸幕文書、統幕文書が出現するに及んで、O事務官退職後の、空幕文書以外の文書が出たことから、ついに内部問題としての、調査隊独自の捜査をあきらめ、警視庁公安部に対し、捜査協力を依頼するにいたったのである。