そしてまた、この佐々木環は、四十二年夏の、東京相互銀行からの、一億円詐取事件をおこし、さらに、朝日新聞の「板橋署六人の刑事」問題のタネとなった人物であることは、いうまでもないことであろう。一億円詐取は大映手形パクリ事件の、保釈金返済のため、迫られて起した事件であり、こうして常習犯罪者の犯罪は、金額の面からも次第にエスカレートしてゆくものなのである。
岡林の犯罪歴は、二十七年一月に商品詐欺で西宮署(起訴猶予)、二十九年一月に業務上横領で生田署(不起訴)、三十六年十一月に土地詐欺で兵庫署(起訴猶予)の三回。いずれも、法のスレスレを歩いているとみえて、起訴をまぬかれている。
この岡林が、二十六年九月に、神戸市兵庫区湊町の自宅に、自分の片腕としていたグレン隊大江某を社長に、自分は監査役となって設立したのが、神港建設である。これを三十八年三月に解散し(光明池の売買の税金を背負わせたためか=冒頭の話の実例)、同年八月、大阪市西区江戸堀北通に、東洋殖産を設立した。茨城県のケースは、この東洋殖産でやるつもりであったらしい。今度は、自分の銀行取引停止期間が満了していたためだろうか、自ら社長となり、専務には日本電建大阪支店用地係長だった村木典男を据え、監査役には内妻中村君子を配した。
愛媛出身の自民党井原岸高代議士と同郷で、秘書と称するほど同氏に可愛がられていたが、
これが、茨城県の土地の防衛庁買上げやら、政治献金やらに利用されるキッカケとなった。告訴人の佐々木にいわせると、「井原政務次官は、私の前で、田中角栄前蔵相(注。光明池地区転売と、東洋殖産村木専務に関係のある日本電建の前社長である)に電話をかけ土地買上げの予算措置まで頼んでくれたほどで、井原、田中議員らへの、政治献金も信じられた」というのに対し、井原代議士は、「トンでもない。三十八年十月ごろ、岡林に連れられて次官室へきたので、一分足らず会っただけ」と、全くアベコベで、真相はさだかではない。
だが、この岡林の逮捕歴と、光明池団地の宅地の所有権移転、茨城県の広布産業事件と、時間的に彼の行動を追ってみると、内容が明らかになってくる。二十六年神港建設創立、二十七年商品詐欺、二十九年業務上横領、三十六年一月光明池A地区買収(坪二百二十円程度)、同年二月東棉へ売却、同年三月同F地区買収、同年四月東棉へ売却、同年八月、A、E地区を日本電建へ売却(東棉嘱託)、同年十一月土地詐欺、同十二月B地区買収、三十七年一月B地区を日本電建へ売却、同年七月、B、C地区買収、いずれも直後に日本電建へ売却、同年八月F地区買収、同年九月日本電建へ売却。こうして、光明池地区三十八万坪は、三十七年九月八日現在で、全部日本電建の名儀となった。そして、その時期に公団本所から、大阪支所へ光明池団地の調査命令が出たのだから、田中角栄代議士と日本電建、公団という、三者の関係を想起させるに十分であろう。その間、東棉不動産部は、わずかに、A、E地区に介在したにすぎない。ま た、勝又用地課長の収賄は、この時期から三十八年春にかけてのことである。