流通機構社は三十九年ごろから機構づくりをはじめた。村上官房長の国会答弁にある、「三十九年春、知人が青年を福田蔵相のもとにつれてきた」という、その青年が、福田弘その人である。すると〝知人〟というのが誰であるか、容易に想像されるのは、福田一議員であるが、関係者は口をカンして〝知人〟の名を明かそうとはしない。こうして、三十九年の秋には「全日本流通機構」なる構想が煮つまってきて、全国の商工会議所や業者への働らきかけがはじまった。こうした仕事が、誰の紹介で誰の口利きで行なわれたのであろうか。
村上官房長答弁にいう「電光石火のように物を買った」とある通り、帝人をはじめとして、繊維会社や文具メーカーから品物を買いこみ、数億円にのぼる不渡り手形をつかませ、一方、それらの品物を流した。各県商工会議所などの、小売り側からマキ上げた手形は、「割り引きのため」金沢代表取締役から、大阪の暴力団「柳川組」組長柳川次郎に渡ったのであるが、これは、〝結果的に〟パクられてしまった、ことになった。被害を受けたのは、福田一議員の選挙区、福井をはじめとする、岐阜、熊本、高知などの各県の商工会議所である。この辺に、Yのいう、「福田さんの選挙区に数カ月も滞在して調べた」事実があるのだろう。
この、手形サギ事件も、Yの断片的な話からまとめてみたもので、いずれも各関係者が、被害を伏せているので、果して、総計で、何億という金になるのか、全く不明である。明らかになったのは、さとう印刷の四十四万円だけという、それこそ、全くの〝怪談〟である。そして
また、各県商工会議所を経た、本物の手形の金は、どこに消えてしまったのであろうか。金沢、柳川両名にただすべく、大阪に飛んでみた私が知り得たのは、両名とも別件で拘禁されていて、取材ができないということだった。
だが、この手形サギ事件ばかりではなく、もう一つ、不可解な土地の不正払下げ事件なるものがある。
六甲山の国定公園に隣接する国有地の地主たちに、同社は「福田蔵相の政治力で、土地を高く売ってやる」ともちかけ地主たちに運動資金約三千万円を出させたといわれる。そして、国定公園の国有地の一部を抱き合わせ、これを日綿実業に払下げるという話をデッチあげた。流通機構の手形に、そんな関係で日綿のウラ書きをさせ、これを三和銀行で割引いて、四億円もの現金が動いたが、これまた、全くの詐術で、話は吹き飛んでしまった。日綿実業で取材してみると、これまた、「会社を調べてみましたが、流通機構なる会社と取引きした事実はありません」と、否定の返事である。
では、土地買収の資金として、三和銀行から出ていった、四億円の金は一体、どこに消えてしまったのだろうか。
福田一議員の側近筋では、「弘さんというのは、全くのお坊ッちゃんで、そんな悪事のできる人ではない。第一、芝で喫茶店を経営しているのだから、喰うに困るわけじゃなし、誰か、
悪い朝鮮人にカツがれたのではないだろうか」と、はなはだ同情的であるが、福田弘、金沢政男の両代表取締役の下には、I大蔵省係長、I通産省といった、元役人二人もいるのだから、そもそもの、この会社の構想は、このあたりからスタートしていると見られよう。