田中角栄は補償の件で石井理事に連絡して、彼を相知った。石井は、『緒方はインチキな男だ』というに決っている。そして、田中角栄は同県人を紹介し、石井は田中角栄のカオを立てて電発の保険を契約してやる。こんな推理は、失敬極まりないかもしら
んが、それが人情というものではないだろうか。そして人情の機微をいたわるのが、政治の妙諦というものではなかろうか」
緒方はついに政治家遍歴をあきらめた。彼が慶応で政治学を学んだのは、もうずいぶん昔のことになる。しかし、彼が現実にみた〝政治〟の姿は、あまりにも学問とはカケ離れすぎていた。彼は失望した。
さきにふれた〝オトシ穴〟というのは、河野—児玉—中曾根の線が動いてくれた時、経済記者にいわれて、電発に出した〝水増書類〟のことだ。これを逆手にとって、電発は「緒方はこの通りインチキ野郎だ」という証拠にしたほどのアクラツさだった。
その年、つまり四十二年暮、電発から正式に補償案が示された。いわく、長野鉱区に対し一千二百万円、協力費として一千万円、合計二千二百万円也。彼が三年前に示したのは、五億四千万円であった。
「私はどの政治家にも一銭の現金も出していない。会談の時の食事代くらいしか払っていない。金を出していないからこそ、私の〝政治家の調停依頼〟は、ヤミ取引ではないといえるのだ。そしてあるいはそれだから、まとまらなかったともいえよう。もし、私が金銭で政治家を利用しようとしたのなら、彼らと一つ穴のムジナでこのような話をする資格はないのだ。結論すると、正しい意味での純粋な『政治調停』は、日本の現状にないということだ。
そしていかに正論をはき、それをまた民衆に訴えても、時の権力にいとも簡単に押しツブされてしまうものであるのだ。すべて、私利私欲であり、ギブ・アンド・テイクである」
緒方は紛争の一切を四十年七月に、「工事停止の仮処分」で法廷に移した。そこにニュースが入った。九頭竜の残存部落の補償問題だ。部落側は四億五千万円を要求し、電発は五千万と回答、対立していたのだが、福井県知事の調停で急転直下解決し、電発は四億一千三百万円を支払った。電発が世銀借款の条件である水利権を得るため、水利権者である知事のカオをたてたのだ。
おりから、総選挙の立候補締切日であった。緒方は徒手空拳のまま立った。
そして、敗れた。
でも、彼は屈しない。理想主義にもえて、政界のゆがみをただす一粒の麦になろうとしているのだ。
食いちがう意見
緒方克行氏はいう。
「これは私の見聞した事実の記録だ。政治の裏側にふれてみて、はじめて気がついた。これが新生日本の現実とあっては、海軍特攻の仲間たちの死も、それこそ犬死だと感じた。そして、
私自身の政治への無関心が誤りだったと知った。田中角栄氏の部分の〝邪推〟は、あくまで私自身の〝邪推〟の型の見本であって、田中角栄氏はそうしたというのではないことをお断りしておく」