麻薬取締法五八条の、取締官の麻薬譲受けの許可は、どのような精神にもとづいて定められたのであろうか。「麻薬の犯罪捜査にあたり」と、但し書きが付されているのだから、これは、いわゆるオトリ捜査を認めているのではないだろうか。麻薬のオトリ捜査が、立法の精神において認められているとすれば、鈴木の警察調書の、冒頭部分のオトリ捜査への非難は警察官、否、兵庫県警麻薬担当官の〝感情〟と判断されよう。
大体からして、教育もないし、極道の麻薬密売人で、あのような〝大演説〟を文字通りにブテるハズがないので、調書の冒頭と末尾とは、筆者の体験からしても、調べ官の「……ということなんだろ?」という、断定的な発言に対し、被疑者は「ハイ」と、うなずくだけだ。
この、県警麻薬担当官の、近畿麻薬取締官への〝感情〟は、鈴木の調書の他の部分にもある。つまり、鈴木逮捕当時の取締官事務所との関係を、わざわざ一項目をたてて、三十五年十月十日に、鈴木入院中の山田病院で(数次の調書の日付をみてゆくと、十月になって入院しているようだ)、兵庫署の生田春次巡査部長が、調書をとっている。
「近畿事務所神戸分室に行きましたところ、分室長が『警察本部が君を逮捕するといっており、今、所長(近藤被告)に連絡をとり、検察庁にもなんとかして頂くよう話をしている」
(中略)
分室長が電話を代れというので受話機をとると、近藤所長が出ていて、『鈴木君、二十二日
間の辛抱や、絶対に否認せい。わしが検察庁に話してその間になんとかする』と、いいましたから、私は所長に、『今まで事件の内容をある程度弁護士から聞いていることでもあり、警察へ行って話をする』と、いいましたが、所長は『絶対に否認せよ』ということを強調し、さらに私に、『警察は君だけでなしに、麻薬事務所ということも計算に入れており、麻薬係だけではなくして、捜査二課(鋤本被告が課長)の方も調べることやろ』といいました。
(その打合せに捜査二課長が神戸分室にきて、鈴木は明朝十時=八月二日=に県警本部へ出頭するから、逮捕は待ってくれとの話し合いがついたことになる)同分室を出ようとすると、奥川取締官が、『ああ、警察がおる』というので、フト顔をあげてみると、刑事らしい男が私の自家用車のおいてあるところに立っておりました。(中略)
私は鋤本氏に対し、『今、捕ったら困る。金を一銭も持っていないし、また、警察も約束しておいて、汚ないなあ』というと、鋤本氏は『警察ってそんなとこや。まア、スーさん、行ったらあんばいよう頼む』と、いいました」
この調書の狙いは、所長以下の三取締官の、鈴木との共謀振り(取締官の起訴事実の麻薬密輸、収賄)と、検察庁へ運動の阻止にあると思われる。このような、県警側の〝感情〟は、当然、取締官側にも反映して、近藤被告(前所長)の裁判所への上申書に、ハッキリと警察との協力を否定している部分がある。