赤い広場ー霞ヶ関 p010-011 ソ連のスパイ網の魔手がいかに日本にはびこっているか

赤い広場ー霞ヶ関 10-11ページ 偽装結婚で生まれた子供が日本人の父親に会いたがっていると、ソ連諜報網に引き入れられる
赤い広場ー霞ヶ関 Is Ogura’s child waiting for his father in Moscow?

何という誘惑の言葉でしょうか。私はそのソ連人のために、スパイの手先として働らきました。私の働らきの如何によって、彼女と、子供とに逢わしてやるという、ソ連人の言葉をあてにしていたのです。ソ連人は私を激励していいました。

『髪の黒い可愛いい子供だよ。遠い東京の空をみて、その子は險の父を慕っているんだよ』 その後、私が連絡するソ連人たちの言葉から判断したところでは、彼女はどうやら政治の女中尉だったらしいのです。

四 果して涙の父子再会か 当局ではソ連引揚者調査から、このような偽装結婚――姙娠――墮胎(或いは分娩)というソ連側のスパイ工作の資料を持っていたので、オグラ氏に関するラ氏自供を聞いたときにはハハンとうなずいた。   

終戦時にモスクワの特派員だったオグラ氏もそれから十年、もはやその社では相当の地位にある。そのオグラ氏に対して、あの引揚者に対すると同じように、

『お前の子供に逢いたくはないか。逢わしてやるぞ。ふたたびモスクワへ新聞記者として行ったらどうか』

と、誘惑の言葉がささやかれたとしたら?

一方ソ連では昭和三十年二月十一日「姙娠中の婦人の堕胎行為に対する刑罰」を廃止した。 つまりそれまでは墮胎は禁止されていたので、この引揚者へ対する〝險の父子再会〟という誘惑と同様に、オグラ氏の子供も墮胎されずに生れ、モスクワでまだ見ぬ日本人の父オグラを險に描いて、恋い慕っているのではないかとも考えられる。

そして、治安当局の一部では、戦後モスクワ入りした新聞記者の誰れ彼れをオグラ氏になぞらえ、その入ソ許可は成長したわが児に逢うという目的であたえられ、実はソ連諜報網への協力者としての論功行賞であった、とまでうがった見方をしている。

治安当局というところは、きわめて意地が悪いし、われわれの常識でまさかというようなことまで、一つ一つの事実をつみ重ねて推論する。これが情報係官としての能力の差の出てくる点である。

一つ一つの情報を集めてこれはおかしいなとチェックするのが、インタルゲーション(収集) であり、このチェックされた情報を集めて、分析判断するのがアナリシス(分析)である。したがってアナリィスト(分析者)は幹部である。治安当局のアナリィストは、オグラ氏についても、前述したような事情があるに違いないと判断し、戦後、初のモスクワ入りする新聞記者に注目していたところであった。

ソ連のスパイ網の魔手が如何にして日本にはびこっているか。その一つの事例を、新聞記者 オグラ氏の場合として紹介した。