赤い広場―霞ヶ関 p026-027 ソ連側は多くを要求。日本側はほとんどを拒否。

赤い広場ー霞ヶ関 26-27ページ ソ連側は執拗に多くの要求を出したが、日本側はほとんどすべてを拒否。
赤い広場ー霞ヶ関 p.026-027 The Soviet side persistently demands a lot of things. Japan refuses almost.

『私達の印象を悪くしないようにした方がいいだろう。この事件が表面化した場

合、あなたの責任に影響するだろう』と脅迫がましい言動をなし、更に『三十日迄の間に釈放される場合は、北海ホテルに通知してほしい』と言い残して立去った。

 6 ついで午後五時四十五分頃旭川刑務所を訪れ、所長に面会を求め午後六時十五分頃より会見し、aソ連人四名の健康状態 b房内の生活状態を聞き、差入れの打合せをして北海ホテルに引上げた。

 7 八月二十六日午前中旭川刑務所を訪れ、果物の差入をして引上げた。

 8 八月二十七日午前七時四十分旭川発の列車で小樽へ、午前十一時四十分頃到着、北海ホテルで午後一時頃まで休憩し、海上保安本部を訪れ『ソ連船を見たい』と申入れた。これに対し海上保安本部では『事件がまだ確定していないので見せられない』と拒否したところ、付近のハシケを雇ってソ連船の周囲三百米位を一周して、午後四時頃ホテルに引上げた。

 9 八月二十八日午前九時四十分頃、岩田町漁業協同組合幹事木森幸雄氏がホテルを訪問、ルーノフ氏等に面接し、自己所有漁船がソ連に拿捕された模様なので、その早急送還方を要請した。

 10 同日午後小樽郵便局より東京USSR代表部宛英文にて『船を視察した、三十日にもう一度事件解決のため調査をやってみる、今日旭川へかえる』旨打電し、午後五時小樽駅発にて旭川へ午後九時帰着した。尙同日代表部パブリチエフ氏よりルーノフ氏宛、『取調べが終りましたか、船長との会見を要求しなさい』との内容の電報を受取っている。

 11 八月二十九日午前十時頃旭川地検へ赴き、検事正に面会を求めたが、忙しいからと面会を拒否したところ、約二十分位待っていたがそのまま引揚げた。

12 八月三十一日午前十時、旭川地検に検事正を訪ね『拘留中の船長に面会させて貫いたい』と申入れたが、検事正は『起訴後であるから裁判所に行ってもらいたい』と拒否したが、執拗に要求、約一時間ねばって結局目的を達せず引揚げた。引続き午前十一時十五分頃地方裁判所に所長を訪ね、同様の交渉を行ったが、担当の山田判事が不在であるからと拒否したら、ここでも約二十分ねばって立ち去った。

13 八月三十一日午後三時十五分、旭川発列車で札幌に午後七時到着、グランドホテルに宿泊。

14 八月三十一日午前十一時頃、チヤソフニコフ氏外一名が欧米局長室に来て、同別室の女給仕に書面と名刺を渡して立去った。書面はパブリチエフ氏より欧米局長宛のもので、内容は『前回、逮捕ソ連人四名の釈放要請をしたが、何故この回答が与えられないか』との文面である。

15 九月一日午前九時四十五分、ルーノフ氏等二名は札幌入管事務所に至り、収容中のソ連人三名に面会させてほしい旨申入れたが、拒否されて約三十分位で立去り、午前十一時五十分一旦ホテルに帰り、午後四時四十五分豊平駅より定山溪ホテルに宿泊した。

16 九月四日午前九時三十分頃、札幌入管事務所を訪れ所長に面会し、aソ連代表部員として来た b三人のソ連船員に会わしてもらいたい c仮放免はどうなっているか d送還については如何なる方法をとるか等の申入れを行ったが、これに対し所長より、aソ連代表部員ならばお会いする必要はない