新宿慕情 p.144-145 二月十一日の夜に別れることを約束した

新宿慕情 p.144-145 その深夜の二時ごろ、凍てついたアスファルトに、彼女が去ってゆく駒下駄の音が響いていたのを、私は忘れられない。♪紀元は二千六百年…
新宿慕情 p.144-145 その深夜の二時ごろ、凍てついたアスファルトに、彼女が去ってゆく駒下駄の音が響いていたのを、私は忘れられない。♪紀元は二千六百年…

「ボク、童貞だったんだ……」
私は、鏡の中の彼女に、そう語りかけた。
「……」
彼女は、大きく眼を瞠って、私を見返した。その瞳には、感動に近い輝きがあった。
「まあ、そう……。やっぱり……」
「オレ、きょうからハタチなんだよ。計画を樹てていたんだ。誕生日の夜に……って!」
「そうお!」

彼女が、深くうなずいた。頭に、両手を挙げていたので、二の腕の、ふくよかな白さが、鏡の中に映っていたのを、私は、戦争中に想い出したりしたことを、ハッキリと覚えている。

本名を友枝といった。八戸市の出身だった。当時で二十四歳で、すでに〝看板借り(丸抱えの芸妓ではなく、ダンナ持ちで、置屋の看板を借りている自前の妓)だったが、あとで判明したところでは、当夜は、ヒラ座敷を終わって、帰ろうとしていたのを、おキクさんに口説かれて、渋々、泊まったそうだ。

少年の日の(いや、もう青年というべきか)私は、この芸妓に夢中になった。その六月から翌年の二月、紀元節(建国記念日)の夜まで、ことに、秋以降は、〝同棲同様〟の生活であった。

おキクさんが、私を、どこぞのお坊ッちゃん、とでも思ったのか、気前良く貸してくれる。彼女は、泊まりの花代を、黙って、私のポケットに入れて、返してよこす——自分に傾倒してくる年下の、若い男にひかれるものがあったのかも知れない。

だが、彼女にも、〝芸妓らしい秘密〟があったのか、ふたりは、二月十一日の夜に、別れることを約束した。

その深夜の二時ごろ、凍てついたアスファルトに、彼女が去ってゆく駒下駄の音が響いていたのを、私は忘れられない。

♪紀元は二千六百年……。私が彼女に夢中になり出したのは、その歌とともに、この花街でも、組踊りが座敷をまわってきたころだった。

「オイ、ダリヤはどうした?」

酔った私がそう叫んだ時、地方(じかた)のバーさん芸者が聞きとがめた。

「お兄さん。その年で、ダリヤだなんてイバらないで! ダリヤ姐さん、といいなさい!」

その一言で、私は、ダリヤの地位を知った——三善英史の唄『丸山花街』が好きなのは、そんな想い出につながるからであろうか。

まだつづく情的研究

〈脱ダリヤ〉の結果、私は新宿二丁目を知るようになった。それまでは、ダリヤだけしか知らない〝純情さ〟だったのだ。

やがて、日大の芸術科に行っていたころ、オフクロとふたりで、ひるめしを食べていた時のことだ。

台所口で、「ゴメン下さい」という声がした。? 聞き覚えのある声だった。

——ア、おキクさんだ!

さっと、顔色を変えた私の表情に、オフクロは私を見た。私は、黙って両手を合わせた。

オフクロは立っていって、なにもいわずに、何十円だったかの、枠園のツケを払ってくれたのだった——それ以来、私は、八十七歳にもなる老母に、頭が上がらない。

いまでも、オフクロは、電車とバスを乗りついで、ひとりで私の家に、様子を見にくる。そし

ていう。