編集者も仕事のさいに部下の機嫌をとる必要もなく、朱筆を入れるのに遠慮もいらなくなる。すると新聞は印刷能力と、少数のプランナーと編集記者と、自社ものの少数の記者しか必要とし
なくなってこよう。
各社の特色がなくなれば現在のような多数の社が存在の必要もなくなり、終りにはテレビ塔のように、工場も共有化してくるのではあるまいか。
一方週刊誌は乱立気味ながらも、各誌の平和共存が可能なので、「特別レポート」ともいうべきトップ記事の競争になってくる。いわゆる「考えダネ」の競争だ。すでにこれらのトップ記事を深く調査し、執筆する、プロダクションができはじめているそうだ。いわば、記者の専属制からフリーランサー制への転換の兆しがある。
こうして、テレビと週刊誌の挟みうちを受けている新聞、その現状で記者は完全にサラリーマン化しつつある。私のように〝五人の犯人の生け捕り〟などという、サラリーマンでは考えも及ばないことを実行しようとして、失敗してゆく実例をみては尚更のこと取材意欲は低下しよう。
ともかく、ケガをしないよう、慎重に役人のように社にすがりついていれば、次長、部長は順番に廻ってくるものらしい。静かにするのが得策だ。また取材記者として優秀なものも、順番で次長という行政官にすればトンチンカンになる。どうして、「大記者」という部長、次長待遇の平記者制度がないのだろうか。いろいろな問題を含んでいる事件である。
しかし、私は読売を退社したが、心はいまでも新聞記者である。多くの編集者は社名のある新聞記者でないと、ニュース・ソースに近づけないと誤って考えている。しかし、ニュース・ソースは、社の財産ではなく、記者自身の能力が築いた、本人の財産である。ニュース・ソースには
長屋の熊さんでも近づけるのである。
私に見舞の言葉をくれたある人は「読売の損失だネ」とか、「会社は冷たいネ、君は功労者なのに」とか、有難い言葉を下さる。私は頭を下げて、「とんでもない。浪費家がいなくなって、読売は得ですよ」とか「とんでもない。老練弁護士をつけてくれたり、毎日差入れをしてくれたり、感激しましたよ。それに帰ってこいといって下さるンですよ」とか答える。
私は実際に読売が大好きである。私をここまで育てて下さったところだし、第一、入社の事情からいっても、当然だ。もし、朝日に入っていたら、五年ももたなかったかも知れない。悪女の深情というところか。
私の記事で、一番心配したのは、借金のあるバーであろう。規則正しい生活と、酒とタバコのない十時間睡眠のおかげで、私は肥って出てきたので、早速、安心させるために、それらの店にでかけていった。
「まァいらっしゃい。元気で安心したワ。また、〝常に正義と真実を伝える読売新聞、天下四百万読者を有する読売新聞〟が、聞けるわネ」
女の子たちは、そういって集ってきた。私の酔えば必ず口にするこのキャッチ・フレーズは、有名である。そうして、私の行くバーの女の子たちは、大かた読売の愛読者になった。
私は一月ぶりのアルコールに、僅かばかりのビールで泥酔した。女の子たちは面白がって、キャッチ・フレーズの下の句が出るぞと期待したらしい。