最後の事件記者 p.246-247 手記以前の問題では主張をまげていない

最後の事件記者 p.246-247 私の記者としての問題というのは、この手記の要約の仕方である。この手記要約の抗議については、私は彼の言い分を正しいと思っている。
最後の事件記者 p.246-247 私の記者としての問題というのは、この手記の要約の仕方である。この手記要約の抗議については、私は彼の言い分を正しいと思っている。

そこで私はいった。「よろしい。貴方の御希望通りにお手伝いしましょう。そのためには、ニ

ュースのキッカケというのがあります。その方が、記事を書きやすいから、あなたが、分離公判を受けたいという気持ちを、手記として、弁護士に寄せたという形式をとりましょう。今の気持を書いてください」

彼が書いてきた文章をみて、私は「バカヤロー奴」と舌打ちせざるを得なかった。彼の手記なるものは、彼の気持と全くウラハラな、例のむずかしい漢語の多い、公式的共産党的声明文である。「……し得る権利を保有したい」といった調子である。

学芸欄の論文じゃあるまいし、こんなものが全文社会面に載ると思って書いたのだろうかと、私はK氏の頭脳を疑った。インテリだから、文字にするとなると、自分の願っていることと、全くウラハラな漢語をつづり合せてしまうのである。

私はこの論文に大ナタを振って、話し言葉に近い部分と、赤いといわれて食えない、という部分だけを残した。そうして、手記の量が減ったので、弁護士のもとに申し出ている、他の二名の分離希望の被告の話とをまとめて、原稿を書きあげたのである。

私の記者としての問題というのは、この手記の要約の仕方である。K氏は抗議していうことには、「中学校の生徒に文章を要約させたとしても、もし私の手記をこのように要約したとしたら数師は多分落第点をつけるであろう」という。

今、素直にいって、この手記要約の抗議については、私は彼の言い分を正しいと思っている。しかし、手記以前の問題、「赤いといわれて食えない」という、根本的な問題において、彼の主

張を私はいささかも、まげてはいないと信じている。彼が、読売新聞の記事によって、〝赤くない〟という客観的立証を期待した限りにおいては、この記事はそれを立派に果している。

そして、その当時においては、共産党と自由法曹団にとっては、強烈な打撃であったことは確かであろう。

その後のK氏が、果して食えるようになったかどうか、記事のその意味での効果については、私は調べてみなかったので判らない。私は、K氏の抗議を、結論として全面的に突っぱねたのである。記者として、取消しから訂正などを出すということは、大変に不名誉なことである。

それは、彼の取材が不正確であったし、原稿の書き方が下手だ、ということだからだ。新聞内部の組織からいって、このような間違いの責任は、取材記者本人と、その原稿を採用して紙面に載せた当番次長、さらに社会部長ということになる。

一人の記者が、相手の抗議を入れて、しばしば訂正をし、取消しをしていたならば、それは記者としての失格を意味する。だから、新聞記者は訂正や取消しをがえんじないのである。新聞社が、訂正や取消しを簡単にしないのではなくて、その担当記者がしないのである。

長い年月と、費用とをかけて、これを裁判で争うだけの覚悟がなければ、新聞に抗議を申しこむのは、ドンキホーテである。新聞記者は、一、二の例外をのぞいて、全くのウソは書かないからである。もし、全くのウソを書いたとすれば、それは、ニュース・ソースがウソをついたか、全く善意の過失かの、どちらかである。