最後の事件記者 p.268-269 読売新聞の徳間康快特派員

最後の事件記者 p.268-269 「〇〇にて徳間特派員発」の文字! どうして奴は兵隊に行かなかったのだろうか。あんなに良い身体をしていて! 彼はやはり読売の同期生だった。私は口惜しくて、その夜はねむれなかった。
最後の事件記者 p.268-269 「〇〇にて徳間特派員発」の文字! どうして奴は兵隊に行かなかったのだろうか。あんなに良い身体をしていて! 彼はやはり読売の同期生だった。私は口惜しくて、その夜はねむれなかった。

教員室に一人女学生がいた。その日、学校で行われる篤志看護婦試験をうけようと、やってきた子だった。去り難いのか、女の先生と二人で何やら話し合っていた。
「兵隊さんは、お国どちらですか」

先生の声に、私は受話器をおいた。

「東京です。読売新聞にいたんです」

「マア、東京!? あたくしも!」

女学生がハズンだ声を出した。聞けば、巣鴨の十文字高女から昨秋転校してきたのだという。五中生の私と、話が佳境に入ろうとした時、伝令が迎えにきた。

「大隊長殿のもとに准士官以上集合です」

「あの女学生はどうしたかナ。そういえば、オレは駄菓子の袋に残すべき、署名原稿をとうとう書かなかった。

「読売新聞シベリア特派員」

——徳間の奴!

その年の早春、まだ見習士官で駐屯地の古年次兵の教官をしていた時、時局解説というのを週一度やっていた。ネタは、一週間おくれで、一週間ぶんが一度にとどく、華北新報という新聞だった。

ランプの中隊事務室で、学科の準備のために新聞をひろげた時、私は思わずガク然としたのだった。

一面トップに、「地下飛行機工場について、読売新聞の徳間康快特派員は、次のように報じて

いる」とあるではないか。つづいて、「〇〇にて徳間特派員発」の文字!

——どうして奴は兵隊に行かなかったのだろうか。あんなに良い身体をしていて!

彼はやはり読売の同期生だった。私は口惜しくて、その夜はねむれなかった。軍服を着ている自分がうらめしかった。どうして、私は記者として社へ残れなかったのだろうか。社へ残った徳間は、もう署名原稿を書いているではないか。

朝があけてきた。まだ、ソ軍戦車はやってこない。やがて正午の玉音放送だった。

昨夜の断腸の思いの、新聞記者への別れも、再びつながれた。ベストを尽した試合が、敗戦に終った感じだった。解放感がこみあげてきた。私の心ははや東京へと飛んで、「再びペンを握れる!」というよろこびで、もう一ぱいだった。

部隊は武装解除されて、シベリアへと送られた。だが、私は「読売新聞シベリア特派員」だったのである。出発前には、錦ヶ丘高女の女学生の家をたずねたり、日本人家屋から日用日露会話という、ポケットブックを探しだしてくるほど、張切っていたのである。

「三田さんは読売本社なら東京ですな」

「エエ、東京で逢いましょう」

「短気を起さず、身体に気をつけてな」

その人は、今、池袋で法律書を出版している、大学書房の石見栄吉氏だった。私がたとえシベリアで倒れても、消息はこれで、東京へと伝わろう。私は明るく別れをつげた。