最後の事件記者 p.334-335 菊村氏などは不遇であった

最後の事件記者 p.334-335 読売出身の作家、菊村到氏の記者モノをみると、部長と視線が合わないようにソッと席に坐る場面がある。彼はいつもゆっくりと出てきて、私をみるとニヤリと笑う。私も出勤がおそかったからだ。
最後の事件記者 p.334-335 読売出身の作家、菊村到氏の記者モノをみると、部長と視線が合わないようにソッと席に坐る場面がある。彼はいつもゆっくりと出てきて、私をみるとニヤリと笑う。私も出勤がおそかったからだ。

現実にこの社会の中で、特に新聞社とは限らずに、あらゆる組織体の中で、果して実力者だけが〝立身出世〟をしているといえるだろうか。現実には、〝危険な英雄〟よりは〝安全なサラリーマン〟が、出世のコツであるのだ。

読売の記者に、ある立身出世主義者がいた。もちろん、バカや無能力者では、出世できないのは当然である。記者としての能力は、もちろん一通りは備えていた。しかし、彼には、「あの事件の時は……」といった、自慢話は、これといってないようである。

彼は、朝の出勤時間に、他人よりは必ず早く出てきた。他人といっても、他の記者もふくめられるが、特に部長である。彼は部長よりは必ずといっていいほど、先に出社したのである。部長が自席につく時には、必ずすでに坐っている彼の姿がある。

読売社会部出身の作家、菊村到氏の記者モノをみると、その記者は必ず部長より遅く出てきて部長と視線が合わないようにして、ソッと席に坐る場面がある。彼の記者時代がそうだった。読売で出世をしようとは考えていなかったのだから、彼はいつもゆっくりと出勤してきて、私をみるとニヤリと笑う。私も出勤がおそかったからだ。

ところが、この〝出世〟記者は、早く出てくるのだ。このことは確かにエライことだと思う。努力なしではできないことだからである。私も敬服はしていたのだが、あとが何とも、私には我慢できないことだった。

夕方になる。昼勤の遊軍記者は、特に忙しくさえなければ、適当に消えてしまうのが慣例である。つまり夜勤記者が出てくれば、帰ってしまって、構わない。

ところが、この記者は、部長が着席している限り、絶対に消えないのである。しかも、横目や上目で、チラと部長の席をみる。部長が席を立たない限り、彼も立たない。このような記者が出

世をする。部長となり、局長となるのである。

(写真キャプション 東京駅前の郵船ビルからの呼び出しは公用郵便)

才能を殺す新聞機構

その限りでは、実力者であった菊村氏などは新聞社における限り、不遇であった。彼の芥川賞受賞の光栄は、本当の意味では社会部員全部によろこんではもらえなかった。彼が社を去る時は、送別会すらなく、いつの間にか出勤しなくなり、辞令が出てはじめて、その退社を知ったほどであった。

だから、私の功名心を、このような立身出世主義に置きかえてみるのは、誤りだ。今度の横井事件の〝五人の犯人生け捕り〝計画も、「彼は社会の多数がこうむる迷惑よりも、自分の抜け駈けの功名や、社会部長の椅子の方が大事であったに違いない」とみるのは、全くの誤りである。