「部長、マンホールや列車妨害なぞの小事件で、部長が直々に放送を頼みにいって、ペコペコしたら貫禄が下がるよ」
「なんだい? ヤブから棒に放送なんて」
「ヘッ! おとぼけはよそうョ。だって、重要犯罪の捜査のために、なくした古ハガキを探して下さいって、頭を下げたろうが……。大刑事部長の高い頭をサ」
彼の眼に、チラと走るものがある。
「都本部が、この上、三橋以上の重要犯罪をやりだしたら、こちらがもたないよ。エ? 三橋以上の大事件をサ!」
三橋といって、表情をみる、人の良さそうなニヤリが浮ぶ。KRから借りてきた書類を突きつける。またニヤリが浮ぶ。
「いずれにせよ、私は知らないよ」
この答弁をホン訳すると、「そうです。三橋事件ですが、私は、詳しいことを知りません」ということだ。反応は十分だ。もうここまでくれば、上の者にいわせねばならない。
次は片岡隊長だ。彼は殉職警官のお葬式にでかけていたので、これ幸いと電話をかけて呼び出す。
「隊長! 例の紛失モノはどうしました」
「エ? 何だって?」
「ホラ、ラジオ東京に頼んだ、三橋事件の証拠品のハガキは、出てきましたか?」
「ア、それは警備部長の後藤君に聞いてくれよ」
ズバリ切りこまれて、隊長は本音をはいてしまった。——こうして、当局は否定したけれども、翌三日のトップで出ると、ついに国警本部の山口警備部長が認めた。
その日の審査日報も引用しておこう。「紛失した鹿地証拠は、誠にスッキリとした鮮やかなス
クープで、最近の大ヒットである。国警にウンといわせ得なかったのは残念だが、放送依頼書の複写がそれを補っている。関係者の談話も揃って、全体に記事もよくまとまっている」夕刊「鹿地証拠紛失はついに国響もカブトを脱いで、その事実を認めた」
ラストボロフ事件
三橋事件の余波が、いつか静まってきた、二十九年一月二十四日、帰国命令をうけていたソ連代表部二等書記官、ユーリ・A・ラストボロフが、大雪の中に姿を消してしまったという、ラ事件が起きた。ラ書記官の失踪はソ連代表部から警視庁へ捜索願いが出たことから表面化したのだが、その外交官は、実は内務省の政治部中佐で、スパイ操縦者だったというばかりか、失踪と同時に、米国へ亡命してしまったということが明らかになった。
この事件ほど、当局にとって、大きなショックだったことはあるまい。米側の手に入ったラ中佐は、直ちに日本を脱出、在日ソ連スパイ網について供述した。その間、日本側が知り得たことは、ラ中佐の失踪を知って、警視庁へ出頭してきた、志位正二元少佐のケースだけである。
一月二十七日、代表部から捜索願いが出されて、二十四日の失踪が明らかになると、志位元少佐は保護を求めて、二月五日に出頭してきた。二等書記官が実は政治部の中佐、そして、ソ連引揚者で、米軍や外務省に勤めた元少佐参謀。この組合せに、当局は異常な緊張を覚えたが、肝心のラ中佐の身柄が、日本に無断のまま不法出国して、米本国にあるのだから話にならない。