最後の事件記者 p.444-445 サラリーマンだけを雇用することに

最後の事件記者 p.444-445 私は、早晩トバされるべき運命なりと、覚悟していた。横井事件などがなくとも、辞めるべき客観状勢であったのである。
最後の事件記者 p.444-445 私は、早晩トバされるべき運命なりと、覚悟していた。横井事件などがなくとも、辞めるべき客観状勢であったのである。

その結果出てきたものは、最初の掲載記事と同じ場所へ、同じ体裁で、同じ長さの記事を出して、前の記事を訂正するという、前代未聞の出来事であった。私が書いた記事に対しても、同じような要求をうけたことは、一再ならずあった。だが、それらはすべて、一笑のもとにケトばされた。
私は絶対不服であった。それならば、あの検事の名前を明らかにして、その間違った経過を、読者の前に公表すべきである。相手をぶん殴って、すぐ済みませんとだけ謝れば、それで済むはずのものでない。このように間違えたのですから、御立腹でしょうが、お許し下さいと、謝るの

が常識であり、礼儀であり、読者への責任である。

この態度に、率直で良い、大新聞の襟度である、これからもそうすべきだ、と、オベンチャラをいう評論家や、他の新聞があった。そんなバカなことがあるものか。

一等部長である社会部長は、三等部長のつまらないポストへトバされてしまった。立松記者は「懲戒休職一週間」という、処分をうけた。私は、その時にはお構いなしであったが、早晩トバされるべき運命なりと、覚悟していた。私が立松記者なら、あの時に退社しただろうが、いずれにせよ、横井事件などがなくとも、辞めるべき客観状勢であったのである。

なぜかといえば、この事件の取消し方の、スジが通ってないのでも判る通り、社会部のピエロは、すべて整理されることになった。あんまりフザけた、道化芝居はやめて、商売らしい商売をするために、サラリーマンだけを雇用することになったようであった。

はじめて知る人の情

「最高裁の局長連中との会で、君の噂が出てね。みんな局長たちの意見は、起訴からして無理だから無罪だ、といってたよ。悪いニュースじゃないから知らせるよ」

ある記者が電話でそういってきた。

「メシが食えるかい? 大丈夫かね、相談に乗るよ」「ある会社のエライ人が、手記を書いたのだけど、文章がダメなんだ。印刷できるよう、まとめる仕事をやらないか」「ナニ、新聞ばかり

が社会じゃないよ」

人間、落ち目になって、はじめて人の情を知るというが、私は今度もそう感じた。本人はあまり落ち目とも思わないが、客観的には落ち目であることは確かだ。

電話の一本、ハガキの一枚に、私はどんなに慰められ、元気づけられたことか。そして、広い世間には、いろいろの考え方のあることを知った。

「あの文章を読んでその通りだと思うものは、新聞記者に一生を打ちこんだものだけしか解らぬでしょう。特に官僚の権力エゴイズムと、最近の××の月経の上った宮廷婦の集合の如き動脈硬化ぶりに対する、言外の痛恨の情など……」

「この馬鹿みたようなという実感は、警察と検事とを除いた、すべての日本人、否地球上のすべての人の吐息ではありますまいか。大体、権力を握った人間はヒューマンという意味では人間ではないでしょう。普通の場合でも検事たちの手にかかると、刑法的インネンを吹かけられて、惨めな人生になることが一般的でしょう」

私が、司法記者クラブにいた一年間の大事件は、売春、立松、千葉銀の三つであったが、それらの事件を通して感じられるのは、この二つの手紙と共通するものであった。一人は新聞記者の老先輩であり、一人は老実業人であった。新聞記者、それも読売の未知の地方支局員からももらった。

「読んでみると、全く社の悪口はなく、取材意欲と愛社心にもえるものだった。読者には読売に

はいい記者がいたものだと感心させ、社の幹部も反省することがあるだろう。私たちも第一線地方記者として、読売に誇りを感じた。折あれば早くまた帰社して頂き……」