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最後の事件記者 p.204-205 不良外人の三大基地をブラつく

最後の事件記者 p.204-205 夜は夜で、彼らの集まるナイト・クラブ、赤坂のラテン・クオーター、麻布のゴールデン・ゲイト、銀座のクラブ・マンダリンや、デインハオなどで、租界に巣喰うボスたちの生態をみつめていた。
最後の事件記者 p.204-205 夜は夜で、彼らの集まるナイト・クラブ、赤坂のラテン・クオーター、麻布のゴールデン・ゲイト、銀座のクラブ・マンダリンや、デインハオなどで、租界に巣喰うボスたちの生態をみつめていた。

それまでは、連合国人と第三国人とにとって、日本は地上の楽園だったのである。一番大きな特権は〝三無原則〟と呼ばれた、無税金、無統制、無取締の、経済的絶対優位であった。

その結果、日本はバクチや麻薬、ヤミ、密輸、売春といった、植民地犯罪の巣となりはてていた。それは、読売がいみじくも名付けた、〝東京租界〟そのものであった。

九月はじめ、この企画を与えられて、まず不良外人の一般的な動静から調べ出した。内幸町の富国ビル、日比谷の三信ビル、日活国際会館という、彼らの三大基地をブラつく毎日がはじまった。伝票を切って、小遣銭はタップリある。私はそのビルのグリルやバー、レストランやパーラーで、のんびりと構えていた。

長身の私は、一見中国人風なので、富国ビルあたりから出てくると、「ハロー・ボーイさん! シューシャン!」と、クツみがきに呼びかけられるほどだった。

夜は夜で、彼らの集まるナイト・クラブ、赤坂のラテン・クオーター、麻布のゴールデン・ゲイト、銀座のクラブ・マンダリンや、デインハオなどで、租界に巣喰うボスたちの生態をみつめていた。こんな時に一番協力してくれたのは、ホステスと呼ばれる、いわば外人用〝夜の蝶〟たちであった。

彼女たちは、やはり日本人である。決して外人たちのすべてを是認していたワケではない。あまり日本人と付合ったことのない彼女たちは、私の卒直な酔い方に興味を持って、夕方の銀座あ

たりで、クラブのはじまる十時ごろまで、よくデートしたものである。

女に不用心なのは、全世界どこの国でも共通らしい。男には必要以上に警戒心を払っていても、男たちは、悪事に限らず、女に対しては開放的であり、全くの無警戒であった。日本人は、男女一対でいると、すぐ情事としか考えない。だが、女こそニュース・ソースの大穴である。

もっとも、女からはニュースのすべてを取ることはできない。しかし、ヒントは必らず得られるのである。役所のタイピストに、コピーを一部余計にとれとか、捨てるタイプ原紙を持ち出してこい、と命じたら、たとえ自分の彼女であっても、事は露見のもとである。タイピストたちは、挙動が不審になり、手も足もふるえて、怪しまれるに違いない。

しかし、高級役人の秘書たちから、誰がたずねてきて、何時間位話しこんでいたとか、どんなメムバーの会議だとか、取材の最初のヒントは必らず得られる。

クラブ・マンダリンのパイコワン

国際バクチの鉄火場だった、銀座のクラブ・マンダリン(今のクラウン)は、いまのように洋風で華やかなキャバレーではなく、荘重な純中国風のナイト・クラブだった。戦時中、「東洋平

和への道」などの、日華合作映画の主演女優だったパイコワン(白光)の趣味が飾られ、小皿の一つにいたるまでの食器が、すべて香港から取りよせられるという凝り方だった。

最後の事件記者 p.206-207 昔懐しい中国人の映画女優

最後の事件記者 p.206-207 私は、このパイコワンと親しかった。昼間の彼女は、何かオカミさんじみて幻滅だった。だが、夜のパイコワン、ことにこのマンダリンでみる彼女は素適だった。
最後の事件記者 p.206-207 私は、このパイコワンと親しかった。昼間の彼女は、何かオカミさんじみて幻滅だった。だが、夜のパイコワン、ことにこのマンダリンでみる彼女は素適だった。

クラブ・マンダリンのパイコワン

国際バクチの鉄火場だった、銀座のクラブ・マンダリン(今のクラウン)は、いまのように洋風で華やかなキャバレーではなく、荘重な純中国風のナイト・クラブだった。戦時中、「東洋平

和への道」などの、日華合作映画の主演女優だったパイコワン(白光)の趣味が飾られ、小皿の一つにいたるまでの食器が、すべて香港から取りよせられるという凝り方だった。

赤い支那繻子で覆われた壁面や、金の昇り竜をあしらった柱、真紅の支那じゅうたんなど、始皇帝の後宮でも思わせるように、豪華で艶めしかった。照明は薄暗く、奥のホールでは静かにタンゴ・バンドが演奏しており、白い糊の利いた上衣のボーイたちが、あちこちに侍って立っていた。

私は、このパイコワンと親しかった。もちろん、彼女には彼女なりに、私と親しく振舞う理由があった。昼間の彼女は、切れ長の目が吊り上った支那顔で、早口の中国語で、怒鳴ってるのかと思うほどの調子でしゃべる時などは、何かオカミさんじみて幻滅だった。

だが、夜のパイコワン、ことにこのマンダリンでみる彼女は素適だった。私はさっきから、家鴨の肉と長ネギと、酢味噌のようなものを、小麦粉を溶かして焼いた皮につつんだ料理を、彼女が手際よくまとめてくれるのをみていた。客の前に材料を揃えて、好みのサンドウイッチを作って喰べるのに似ている。

その器用に動く指を、眼でたどってゆくと、この腕まで出した彼女の餅肌の白さが、ポーッと

二匹の魚のように鈍く光っていた。

『美味しいでしょ?』

少し鼻にかかった甘い声で、彼女は私にいった。正面はともかく、横顔はまだ十年ほど前ごろのように美しい。彼女も映画のカメラ・アイで、それを承知しているらしく、話す時にはそんなポーズをとる。

私が彼女の映画をみたのは、その頃だった。清純な姑娘だった彼女も、今では下腹部にも脂肪がたまり、四肢は何かヌメヌメとした感じの、濃厚な三十女になってしまった。

パイコワンといえば、今の中年以上の人には、昔懐しい中国人の映画女優である。この数奇な運命をたどった女優には、彼女らしい伝説がある。

上海のある妖楼で働らいていた、彼女の清純な美しさに魅せられた、特務機関の中佐がすっかりホレこんで、これを映画界へ送りこんだというのがその一つである。

ところが、その真相は、その中佐の部下の中尉に眉目秀麗な男がいた。上海郊外で宣撫工作に従事していた中尉と、田舎娘のパイコワンとの間に、いつか恋が芽生えた。だが、命令で内地帰還となった中尉は、彼女にそれを打明け切れずに、姿をかくしてしまった。