カミさんとて、そうそう、取り替えられるものではない。ということは、別に、道徳的な理由からではない。
料理である。食べ物の味である——子供の時の、オフクロの味から、おとなになるに従って〈自分の味〉を持つようになるのが当然だ。
この〈自分の家の味〉を、カミさんに仕こむのが、ひと仕事なのである。
焼きもの、イタメものは、一年かそこらで教えられても、煮ものとなると、三年、五年。日常生活の、「オイ、アレ!」というので、十年ほど。
マクドナルドやケンタッキーから、ブロイラーのトリチュウのたぐい。インスタントに冷凍もどし。〝焼くだけ〟のパック食品などで育った、いま時の若夫婦に、離婚の多いのもうなずけよう。
コーヒーの味と洋食屋——新宿と古女房とから、離れられないのも、〝慕情〟のたぐいなのでしょう。
ブロイラー対〝箱娘〟
大阪はピンとキリ
関西風のナンデモ屋がキライだ、と、書いた。
例えば、梅田のあの地下街。そのほとんどが、食べ物屋なのに驚く。そして、店の名前が違うだけで、メニューはほとんど同じ。さらに、マズかろう、高かろう……なのだ。
スパゲティ何百円、とか、値段そのものは、特に、高いというわけではない。しかし、味からいって、高いと感ずる。
地上に出て、曾根崎あたりのアーケードも同じことだ。地下の小間割りと、まったく同じである。表通りの店も、横丁の店も、そして、ミナミに行っても……。
大阪で、ナニかを食べようとしたら、私は、ホテルのレストランしかえらばない。
招待されて、吉兆あたりで、ホンマモンの関西料理を頂くのなら、これは結構だ。
さんぬる年のエベツさんの日に、帝塚山の大屋晋三氏邸に、大阪読売やよみうりテレビのエライさんたちに、お相伴にあずかったことがある。
新邸の和風大食堂に、吉兆が出張してきていた。……と、金箔の浮いたお吸物が出た。
御堂筋から入ったお店のほうにも行ったことがある。秋だったので、中秋の名月を型どった前菜が出た。横笛を模した細竹の器に、感嘆したものだった。
大阪支社があるので、チョイチョイ、大阪には出張する。しかし、支社長の吉川さんが、酒を呑まないし、魚と肉のアレルギーという人物なので、よけいに、大阪では〝味〟不案内だ。ネオン街とて、自分で開拓せねばならない。
支社の近くにも、旨いコーヒーを飲ませる店もある。すると隣のテーブルで、ヤキ肉ライスを
食われるのだから、参ってしまうのだ。