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新宿慕情 p.052-053 支社長の吉川さんが酒を呑まないし魚と肉のアレルギーという人物

新宿慕情 p.052-053 関西風のナンデモ屋がキライだ、と書いた。大阪でナニかを食べようとしたら、私はホテルのレストランしかえらばない。
新宿慕情 p.052-053 関西風のナンデモ屋がキライだ、と書いた。大阪でナニかを食べようとしたら、私はホテルのレストランしかえらばない。

カミさんとて、そうそう、取り替えられるものではない。ということは、別に、道徳的な理由からではない。

料理である。食べ物の味である——子供の時の、オフクロの味から、おとなになるに従って〈自分の味〉を持つようになるのが当然だ。

この〈自分の家の味〉を、カミさんに仕こむのが、ひと仕事なのである。

焼きもの、イタメものは、一年かそこらで教えられても、煮ものとなると、三年、五年。日常生活の、「オイ、アレ!」というので、十年ほど。

マクドナルドやケンタッキーから、ブロイラーのトリチュウのたぐい。インスタントに冷凍もどし。〝焼くだけ〟のパック食品などで育った、いま時の若夫婦に、離婚の多いのもうなずけよう。

コーヒーの味と洋食屋——新宿と古女房とから、離れられないのも、〝慕情〟のたぐいなのでしょう。

ブロイラー対〝箱娘〟

大阪はピンとキリ

関西風のナンデモ屋がキライだ、と、書いた。

例えば、梅田のあの地下街。そのほとんどが、食べ物屋なのに驚く。そして、店の名前が違うだけで、メニューはほとんど同じ。さらに、マズかろう、高かろう……なのだ。

スパゲティ何百円、とか、値段そのものは、特に、高いというわけではない。しかし、味からいって、高いと感ずる。

地上に出て、曾根崎あたりのアーケードも同じことだ。地下の小間割りと、まったく同じである。表通りの店も、横丁の店も、そして、ミナミに行っても……。

大阪で、ナニかを食べようとしたら、私は、ホテルのレストランしかえらばない。

招待されて、吉兆あたりで、ホンマモンの関西料理を頂くのなら、これは結構だ。

さんぬる年のエベツさんの日に、帝塚山の大屋晋三氏邸に、大阪読売やよみうりテレビのエライさんたちに、お相伴にあずかったことがある。

新邸の和風大食堂に、吉兆が出張してきていた。……と、金箔の浮いたお吸物が出た。

御堂筋から入ったお店のほうにも行ったことがある。秋だったので、中秋の名月を型どった前菜が出た。横笛を模した細竹の器に、感嘆したものだった。

大阪支社があるので、チョイチョイ、大阪には出張する。しかし、支社長の吉川さんが、酒を呑まないし、魚と肉のアレルギーという人物なので、よけいに、大阪では〝味〟不案内だ。ネオン街とて、自分で開拓せねばならない。

支社の近くにも、旨いコーヒーを飲ませる店もある。すると隣のテーブルで、ヤキ肉ライスを

食われるのだから、参ってしまうのだ。

新宿慕情 p.054-055 新宿西口あたりが梅田地下街に感じが似ている

新宿慕情 p.054-055 テレビで宣伝された、マスプロの同じものを着、同じオモチャで遊び、同じマスプロ食品で育つ、いまの子供たち――恐ろしいことではないか。
新宿慕情 p.054-055 テレビで宣伝された、マスプロの同じものを着、同じオモチャで遊び、同じマスプロ食品で育つ、いまの子供たち――恐ろしいことではないか。

支社の近くにも、旨いコーヒーを飲ませる店もある。すると隣のテーブルで、ヤキ肉ライスを

食われるのだから、参ってしまうのだ。

だから、どうやら、大阪というところは、ホテル以外では、ピンとキリしかないみたい。そんな印象である。ナニが〝食いだおれ〟か、と思う。

大阪のことを書くべき原稿ではないのだが、もうひとつ、書かないではいられない。フト、思い出したからだ。

ロイヤルホテルの地階に、なかのしま、という、和食ゾーンがある。前々から、ホテルのことばかりホメているのだが、ここの竹葉亭のうなぎなど、東京の竹葉亭もそれほどではないがヒドイもんだ。

天ぷら、すし。いずれも、値段の割にオソマツである。

西口はキリばかり

話を新宿にもどそう。

梅田の地下街をイントロに書き出したのは、西口あたりが、梅田と、感じが似ていることをいいたかったのである。

そして、食べ物屋のすべてが梅田地下街を、そっくり移してきた感じである。

新聞の紙面が画一的だ、といわれて久しい。そればかりか、大都市の構造も画一的だし、食べ物屋の造りも、メニューも、味も、そうである。

これでは、政府とて、〈国民総背番号制〉にでもしなければと、考えつくのも当然である。

テレビで宣伝された、マスプロの同じものを着、同じオモチャで遊び、同じマスプロ食品で育つ、いまの子供たち——恐ろしいことではないか。

つまり、ウチの社でも、若い連中を使ってみるが、彼らは、常に〝与えられ〟つづけてばかりなので、いつも〈受け手〉であって、決して、〈送り手〉になろうとしない。

新聞記者を志したり、新聞社で働こう、というのに、〈受け手〉の意識しかないのだから、困ってしまう……。

その証拠は、あの新宿の飲食店が、いつも満員で、それぞれに繁昌していることでも、明らかである。

洋食は、「ハンバーグに始まって、ハンバーガーに終わる」という。

成長してゆく子供たちの、食生活の歴史を眺めてみると、中学生では、喫茶店に入っても、クリームソーダだが、高校生になると、ようやく、コーヒーへと進む。レストランでいうと、小学高学年までは、お子様ランチやスパゲティ、カレーライスでも、中学生になると、ハンバーグとなるから、不思議だ。

一、二年前ごろ。マクドナルドのハンバーグには、ネコの肉が使われている、というデマが流行ったことがあった。

「アルバイトに行ってて、禁止されていた冷蔵庫のドアをあけたら、ネコがいっぱいあった」な

どと、マコトしやかな〝噂〟が流され、新聞社などにも、電話のタレコミが相次いだ。