自分が唄い、客に唱わせる。民謡、演歌、歌謡曲と、レパートリイが広い。
「さあ、喰べましょう、喰べましょう!」
自分が唄い終わって、客にマイクを渡すと、コマーシャルを流す——そこには、ケレン味がな
いのだから、それがまた、客に受ける。
次は写真だ。
唄に飽きたと見れば、戸棚からカメラを取り出し、ホステスと客に向かって、「サ、もっとひっついて!」と、ポーズをつけさせる。
カメラから撮影技術まで、これまた、〝効能書〟に詳しい。
「ハイ、終わりました。サア、喰べましょう」
サッとカメラをしまいこんでまた握り出す。
「オネエさん、お名刺、チョーダイよ」
ホステスに、店と彼女の名前をたずね、新宿なら、翌日の夜には、その写真を届ける。銀座、六本木なら、速達で送る。
「コレ、高価いのョ。デモ、イイわ、オネエさんだから、あげちゃうッ」
カラーの顔写真入りの名刺を差し出す。
勘定は、極めて大ザッパだ。シラフの時に、ジッと見ていると、高く、安く、然るべくやっているようだ。
それでも、高い勘定の客も、安い、ホントに喰べるだけの客も、この店のフンイキ、というよりは、ヤッちゃんの客あしらいに満足して、たのしんで帰って行くから、奇妙だ。
良く寄ってくれるホステスがいれば、彼は、就業前の八時すぎから十時ごろまで、そのホステ
スの店に、〈客〉として、リュウとした背広姿で行き、然るべく、金を使ってくる。
いうなれば、これが、彼のホステスへのバック・ペイなのである。腰も、頭も低く、客として迎えた時も、客として支払う時も、彼の態度は変わらない。だから、ホステスに受ける。店へきてくれれば嬉しく、サービス料をツケこまないから、料金も安く上がるようだ。義理を欠かさない、という、東北の田舎町の人情味を身につけている。
酒乱の客にも、ゴキゲンの客にも、それ相応に応待して、然るべく扱う——これで、流行らなかったら、それこそ、オカシイというものだ。
サテ、肝心のスシの味は、といえば、材料を良くして、ナカナカのものである。
こう、観察してくると、ヤッちゃんの〈バラ趣味〉も、どうやら〈営業政策〉とも思えてくるではないのだろうか。
でも、それは、まったく〝憶測〟の域を出ない。別に、私が体験してみたわけではないのだから……。だから、冒頭に書いた〈ヤッちゃんとの交情〉という部分で、交情という言葉に、チョンチョンガッコを、意識して付けなかったのだ。
それでも、私の少年の日に、そんな〝体験——いうなれば初体験〟があるのだった。
中学を卒業して、一浪、二浪とつづけていたころ、私は、ある日、友人の家を訪ねた。