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新宿慕情 p.098-099 読売社外での務台サンの一の子分

新宿慕情 p.098-099 そして、裏側には、こういう文字が彫ってある。TO K.MITA FROM M.MUTAI 45.7.21 読売の務台社長が、「ありがとう」といわれて、この時計を拝領した
新宿慕情 p.098-099 そして、裏側には、こういう文字が彫ってある。TO K.MITA FROM M.MUTAI 45.7.21 読売の務台社長が、「ありがとう」といわれて、この時計を拝領した

「書は姓名を記するをもって足りる」には、反対の立場を取らざるを得ないが、時計も服も、用事が足り、むさ苦しくなければ、それで足りるハズだ。
私の時計はオメガ。それでも十万円ほどのものだ。

そして、裏側には、こういう文字が彫ってある。

TO K. MITA FROM M. MUTAI  45.7.21

読売の務台社長が、正力サンの急逝のあとを受けて、副社長から社長に就かれ、その披露パーティーのあった直後、私はお呼びを受けて社長室に伺った。

大きな椅子にアグラをかかれた務台サンは、報知の販売課長からスカウトされて、正力サンの読売陣営に加わった。そして部数が伸びた時、「正力サンに呼ばれて、行ってみたら金時計を下さった」と、エンエンと、むかし話をされる。

そして、約一時間ほどの、例の長話のあと、帰りぎわの挨拶をしていたら、「ありがとう」といわれて、この時計を拝領した、という記念品である。

私が、〈読売社外での、務台サンの一の子分〉を、自称するユエンでもある。

私の身につけた外国製品はこのオメガだけ。ライターの趣味なし、万年筆は中学生のころからのパイロット——先日、さるクラブで、新米のホステスが、教えこまれたままらしく、私のネクタイを賞めた。「ステキねえ、これランバン?」と。

私は、タシナメていう。

「そういうホメ言葉は、〝趣味の悪い〟人にいうものだよ」

私は、〈お洒落〉なんかじゃない。自分の身体と顔に合ったものを身につけ、自分の口に合うものを、飲み、食べるだけ。

ホステスが、卓上のオードブルを取って、私の口もとに持ってくると、拒みながらいってやるのだ。

「食いものと女とは、自分で選んで、自分の欲しい時に、自分で取るよ」

おかまずしの盛況

名物男ヤッちゃん

医大通りも、ようやくグループでのコーヒー談義を通りすぎて、もうしばらく先の松喜鮨へと到着する。

この松喜鮨の名物男、ヤッちゃんとの交情の、そもそもの馴れ染めが、どうにも想い出せないのが、なんとも残念である。あるいは、それほどに親しいのかも知れない。

私が彼を知ったのは、この店に行きはじめて間もなくのことだった。

「ネ、私たちのレコード、買って頂けないかしら?」

色白でホクロが点在する顔は丸く、頭髪は七分刈りだろう。そこに、キュッと、豆絞りの鉢巻きをしめて、ダボシャツ風の半天の襟だけを、同じ豆絞りの柄にして、アクセントを出している

彼の姿は、いかにも、鮨屋の板場らしく、イナセでさえある。

新宿慕情 p.102-103 酒乱の客にもゴキゲンの客にもそれ相応に応待

新宿慕情 p.102-103 勘定は、極めて大ザッパだ。~それでも、高い勘定の客も、安い、ホントに〝喰べるだけ〟の客も、この店のフンイキ、というよりは、ヤッちゃんの客あしらいに満足して、たのしんで帰って行くから、奇妙だ。
新宿慕情 p.102-103 勘定は、極めて大ザッパだ。~それでも、高い勘定の客も、安い、ホントに〝喰べるだけ〟の客も、この店のフンイキ、というよりは、ヤッちゃんの客あしらいに満足して、たのしんで帰って行くから、奇妙だ。

自分が唄い、客に唱わせる。民謡、演歌、歌謡曲と、レパートリイが広い。
「さあ、喰べましょう、喰べましょう!」
自分が唄い終わって、客にマイクを渡すと、コマーシャルを流す——そこには、ケレン味がな

いのだから、それがまた、客に受ける。

次は写真だ。

唄に飽きたと見れば、戸棚からカメラを取り出し、ホステスと客に向かって、「サ、もっとひっついて!」と、ポーズをつけさせる。

カメラから撮影技術まで、これまた、〝効能書〟に詳しい。

「ハイ、終わりました。サア、喰べましょう」

サッとカメラをしまいこんでまた握り出す。

「オネエさん、お名刺、チョーダイよ」

ホステスに、店と彼女の名前をたずね、新宿なら、翌日の夜には、その写真を届ける。銀座、六本木なら、速達で送る。

「コレ、高価いのョ。デモ、イイわ、オネエさんだから、あげちゃうッ」

カラーの顔写真入りの名刺を差し出す。

勘定は、極めて大ザッパだ。シラフの時に、ジッと見ていると、高く、安く、然るべくやっているようだ。

それでも、高い勘定の客も、安い、ホントに喰べるだけの客も、この店のフンイキ、というよりは、ヤッちゃんの客あしらいに満足して、たのしんで帰って行くから、奇妙だ。

良く寄ってくれるホステスがいれば、彼は、就業前の八時すぎから十時ごろまで、そのホステ

スの店に、〈客〉として、リュウとした背広姿で行き、然るべく、金を使ってくる。

いうなれば、これが、彼のホステスへのバック・ペイなのである。腰も、頭も低く、客として迎えた時も、客として支払う時も、彼の態度は変わらない。だから、ホステスに受ける。店へきてくれれば嬉しく、サービス料をツケこまないから、料金も安く上がるようだ。義理を欠かさない、という、東北の田舎町の人情味を身につけている。

酒乱の客にも、ゴキゲンの客にも、それ相応に応待して、然るべく扱う——これで、流行らなかったら、それこそ、オカシイというものだ。

サテ、肝心のスシの味は、といえば、材料を良くして、ナカナカのものである。

こう、観察してくると、ヤッちゃんの〈バラ趣味〉も、どうやら〈営業政策〉とも思えてくるではないのだろうか。

でも、それは、まったく〝憶測〟の域を出ない。別に、私が体験してみたわけではないのだから……。だから、冒頭に書いた〈ヤッちゃんとの交情〉という部分で、交情という言葉に、チョンチョンガッコを、意識して付けなかったのだ。

それでも、私の少年の日に、そんな〝体験——いうなれば初体験〟があるのだった。

中学を卒業して、一浪、二浪とつづけていたころ、私は、ある日、友人の家を訪ねた。