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新宿慕情 p.076-077 連れの男を良く良くみればナントかつ由のチーフ

新宿慕情 p.076-077 顔見知りになっていたそのママが、若い、どちらかといえば、年下の感じの男と同伴で、バッタリ、牛やで出会ったものである。
新宿慕情 p.076-077 顔見知りになっていたそのママが、若い、どちらかといえば、年下の感じの男と同伴で、バッタリ、牛やで出会ったものである。

ママが揚げたカツ

それがある日。顔見知りになっていたそのママが、若い、どちらかといえば、年下の感じの男と同伴で、バッタリ、牛やで出会ったものである。

「やあ」

「まあ!」

こちらは、〝見てはならぬ〟ものを見てしまった感じ。あちらは、〝誤解しないで〟といった感じの、照れ臭げな挨拶があったあとで、連れの男を良く良くみれば、ナント、かつ由のチーフではないか。

——ホホウ?……。

そんな思いが、私の脳裡をよぎった。

店にこそ、あまり行かなかったが、この〝可愛いタイプ〟のママが、私と同じ岩手県は盛岡市の出身で、小学校が私の後輩の、県立女子師範の付属、と、知って、少なからぬ関心があったのである。

店には行かなかったが、出前の弁当などは、チョイチョイ取っていた。カツ弁だ。

締め切り前夜のこと。十名ほどが残業していて、夜食を取る段になった。カツ弁を発注したが、私は、フト、カツ丼が食べたくて、追っかけ電話して、カツ丼に訂正すると、ママは「丼がない

からムリ」という。

「ナニ、弁当重で充分だよ。メシの上に、玉子でトジたカツを並べればいいんだから……」と強引に注文してしまった。

十五分ほどして、ママから私に電話がきた。

「卵が足りないからダメ」という。止むなくカツ弁で我慢することにした。

そして、また三十分ほどたって、十個ほどのカツ弁を、ママと店の女の子とで、出前してきたが、ママが泣き顔なのだ。顔を合わせないようにしている。

「ママ、ナニ泣いてんだい?」

と、冗談半分にきくと、ママはオロオロ声で答えた。

「私は、お店をやってんだから、お客さんの希望だから、カツ丼を作って、と、チーフに頼んだの……。するとチーフは、『一人前のコック

が、カツ丼なんか作れるか。そんなら辞める』と、ケンカしてしまったのョ……。チーフに辞められたら、もう、あのお店はおしまいよ。このカツは、アタシが揚げたのだから、お口に合わないかも……」

もう、涙声で、語尾もさだかではない。

(写真キャプション)ラステンハイムなどと気取ったが、また逆もどり

新宿慕情 p.078-079 カツ丼なんて〈料理〉のうちではない

新宿慕情 p.078-079 「カツ丼なんか作れるか。そんなら辞める。」と、ケンカしてしまったのョ。…チーフに辞められたら、もう、あの店はおしまいよ。
新宿慕情 p.078-079 「カツ丼なんか作れるか。そんなら辞める。」と、ケンカしてしまったのョ。…チーフに辞められたら、もう、あの店はおしまいよ。

「ママ、ナニ泣いてんだい?」
と、冗談半分にきくと、ママはオロオロ声で答えた。
「私は、お店をやってんだから、お客さんの希望だから、カツ丼を作って、と、チーフに頼んだの……。するとチーフは、『一人前のコック

が、カツ丼なんか作れるか。そんなら辞める』と、ケンカしてしまったのョ……。チーフに辞められたら、もう、あのお店はおしまいよ。このカツは、アタシが揚げたのだから、お口に合わないかも……」

もう、涙声で、語尾もさだかではない。

「……」

私も唖然としてしまった。私のフトした〝出来心〟から、カツ丼の注文となったのが、こんな〝破局〟を招くとは!

ママの細い肩が波打つのを見て、ヒシと抱きしめてやりたいいじらしさだったが、チーフもチーフだ、と思った。

といっても、良い意味だ。カツ丼なんて、〈料理〉のうちではない。それを作れ、とは、経営者でも、いいすぎだ。日本画家に枕絵を描け、この私に、ポルノ小説を書け、というにも等しい侮辱ではないか!

——カツ丼なんて、お惣菜だ!

そう、タンカを切ったチーフの姿とダブって、いま、牛やで照れ臭そうにしている男の顔があったからだ。

その数日後に、通りで出会ったチーフは、晴れ晴れとして笑顔で、私にいった。

「ビフテキなら、牛やよりウチのほうが旨いですよ。断然!」

味噌汁とお新香

ご自慢のビフテキ

「ビフテキなら、ウチのほうが旨いですヨ!」と、叫んだのは、牛やから十メートルも離れていないかつ由のチーフであったが、いま、この原稿を書いている〝原動力〟が、その、かつ由ご自慢のビフテキなのである。

ビーフ・ステーキとビフテキとは、ひと味違う……ポーク・カツレツとトンカツとの違いとも違う。というのは、ビフテキは〝料理〟であって、〝お惣菜〟ではないのであろうか。

つまり、味噌汁やご飯が、ビフテキの場合には、トンカツと違って、フィットしないのだ。

かつ由のチーフが、わざわざ〈和風ビフテキ〉と銘打った、この店の呼びものは、シイタケ、ピーマン、ニンニクなど、各種香辛料も加えた薬味が、ビフテキの上に山盛りになっているのであった。

盛り合わせは、フライド・ポテト、インゲン、甘煮ニンジンなどの、彩り野菜の時もあるが、ナスの精進揚げとかいった〝和風〟なものもつく。