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赤い広場ー霞ヶ関 p.172-173 全権団の随員にソ連のスパイ?

赤い広場ー霞ヶ関 p.172-173 Foreign Minister Shigemitsu denied the fact that there was a person who belonged to Rastvorov, the Soviet spy, in the delegation with full authority of negotiations between Japan and the Soviet Union.
赤い広場ー霞ヶ関 p.172-173 Foreign Minister Shigemitsu denied the fact that there was a person who belonged to Rastvorov, the Soviet spy, in the delegation with full authority of negotiations between Japan and the Soviet Union.

この小額ドル紙幣は、ヤミドル・ブローカーや、日共傘下の貿易商社などに流されて、レート以上の額となって、その懐へころがりこむのである。前々章でのべた、神戸ヤミドル団のことを想い起してほしい。あらゆる国際犯罪には、必ずといっていいほど、思想的背景があるということである。そして、そのヤミドル市場で怪まれたり、損したりしないように、かつまた額面以上の円にするために、ソ連側でもわざわざ手数をかけて、小額紙幣を集めるのである。

 やがて、車はある家の前でピタリと止った。男は低い『ドスビダーニャ!(さようなら)』を残して、サッとその家の中に吸い込まれてしまった。

 第二回は二十八年秋、アカハタ紙の日刊化の資金として、同様に小額紙幣で十五万ドルが渡された。だが、この時にはラ氏はその事実を確認していない。

 という訳は、その年、樺太炭輸入のバーターで、日立造船がソ連船の修理を引受け、広島県因島の日立ドックに、貨物船セプザプレス号、ペトロザボドスク号が入ってきた。その日、ラ氏は東京発安芸号で西下、直ちにペ号の船長室に入るや、しばらくのちに荷物を持って出てきた。

 彼は即日帰京して、元代表部へ帰ってきたが、この時に運んできたのが十五万ドルで、彼がのちに聞いたところによると、ノセンコ海軍大佐を通じて、同様日共の手に渡ったという。

当局では、ラ氏の目撃した日本人の人相から、日共地下財政担当者関係を懸命に捜査した結果、ソ連に近い線で、以前から非合法面に入っていた某(特に秘す)が、三十万ドルを受取った男だと断定した。しかし、すでに外国為替管理法違反の時効三年を経っていたので、ついに検挙することができなかった。

さて、話は本筋へもどって、問題の小坂質問は、この日共資金の次の項にある。

小坂氏 今回の日ソ交渉の全権団に、色のついた人が加わっていることはないか。

外相  そういうことはないことを、はっきり申上げる。(同日付朝日夕刊)

二人の問答は、わずかこれだけで終っている。しかし小坂氏の質問は、衆院の速記録によると、二回も念を押し、外相はキッパリと否定している。

この質問は、前のラ氏の日共献金に関連しているので、この〝色のついた〟という、微妙な表現は、〝ラ氏と関係のあった人〟という、意味にとるのが素直であろう。

重光外相の断乎たる否定の答弁にもかかわらず、全権団の随員の一人に、ラ氏の関係者がいたのである。と同時に、この人物は、いろいろの意味で、〝色のついた人〟であるから、外相はウソをついたのである。重光外相は、国会で議員の質問に対して、ヌケヌケとすぐ尻尾のでるウソをついたのだった。