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赤い広場ー霞ヶ関 p.176-177 ソ連のスパイ技術はずっと高度である

赤い広場ー霞ヶ関 p.176-177 Rastvorov has repeatedly approached Eiji Tokura to work as a spy. But he refused it, Rastvorov said.
赤い広場ー霞ヶ関 p.176-177 Rastvorov has repeatedly approached Eiji Tokura to work as a spy. But he refused it, Rastvorov said.

あの質問は、思いつきでやったのではない。私の知人筋に当る人々から、今度の日ソ交渉全権団の中に、左翼分子がふくまれているという話が出て、私も容易ならざることだと思っていた。それで重光

外相に、その事実があるかどうか、たしかめてみたのだ。

 むろん、国会という場での質問であるからには、一笑にふすべきデマ的な噂や、風説にもとづいたものではない。と同時に、ラ事件にも言及してきいてみたのは、随員のなかにいるといわれる分子がラ事件と何らかの関係があるものと考えたからだ。

 しかし、幸にも外務当局は、疑わしい人物を避けたようだから、私としても、これ以上は追及しない。私の質問が結果的に、国家のために役立ったものと思うから……(七月十日付週刊読売)

と、語っているではないか。

 ソ連スパイは、もちろん党員の鉄の規律と、厳格な教育訓練ののちに一人前になる。ところが、アメリカは雑多な人種の寄合世帯であり、家系の深さなどというものがない。従って誰もが、何処の馬の骨とも、牛の骨とも分らない人間の集りである。金以外に信頼の根拠となる何ものもない。

 そこでアメリカのスパイは、敵スパイを金で逆用することが、一番無難であるとして、敵のスパイを寝返らせて、味方につけるスパイ逆用工作技術が発達した。

 米ソ両国の国のなりたちと、歴史とから考えても、ソ連のスパイ技術の方が、アメリカよりずっと、高度であることは当然である。

技術が下手だから、やり方の荒いのは歯医者と同じである。アメリカが占領中に日本人を苦しめたのはそれで、こんな強引さがすぐ眼に見えるだけに、反米感情をあふるという、悪結果となって現れてくる。

だが、ソ連の手口は違う。陰惨である。執拗である。残忍である。焦らず、あわてず、ガンジがらめにして目的へと追い込んでゆく。食肉用の仔豚を育てて、その成長を眺めながら、最後に屠場に送りこむ手口である。

丸十年前、ソ連軍は中立条約を踏みにじって満ソ国境を越えた。怒濤のようなソ軍の進撃の前には、在ハルビン日本領事館などは浪に呑まれる小舟のようなものである。昭和十一年東京の外語卒業の通訳生、都倉栄二氏もまた軍事俘虜として、欧露エラブカの収容所に送られたのは無理もないことである。

ラストヴォロフ氏はその自供の中で、係官に対して、この都倉氏の名前をあげた。しかし、さきに述べた通り彼の場合は、ラ自供の額面通りに受取るならば、彼にとって極めて有利であった。つまり、ラ氏はシベリヤでの「幻兵団」誓約に従って、都倉氏に東京での約束を果してもらうべく、しばしば彼を訪れ、誓約の実行を迫ったのであった。誘惑もしようとしたのだったが、彼はどうしてもスパイとして働らくことを肯じなかった、という自供内容なのである。

赤い広場ー霞ヶ関 p.178-179 庄司対日暮、吉野対志位、都倉対菅原

赤い広場ー霞ヶ関 p.178-179 Those evaluated by Rastvorov betrayed Rastvolov and cooperated with police authorities. But, those he says badly are uncooperative with police. So are they really Soviet spies?
赤い広場ー霞ヶ関 p.178-179 Those evaluated by Rastvorov betrayed Rastvolov and cooperated with police authorities. But, those he says badly are uncooperative with police. So are they really Soviet spies?

これは都倉氏にとって極めて名誉なことである。ラ氏の口から、都倉氏の名前が出されたので、捜査当局では直ちに彼について調べてみた。この捜査は、ラ自供が真実なりや否やの、裏付け捜査だから当然のことである。ラ氏がスパイではないというものを、警視庁へ召喚して取調べることはできない。だからまず彼の抑留間のことと、帰国後のこと、そしてさらに、当局が彼の名を知ってから以後のことである。

そのため、同収容所の人たちにきき、さらに現在の部分は尾行してみた。その調べによると在ソ間の彼の行動については、幻兵団としてスパイ誓約をさせられたことは、まず間違いのない事実だという。

尾行、張り込みなどの身辺捜査からは、残念ながらラ自供の額面通りの、あまり良い結果は出なかったらしい。通商使節団のクルーピン氏らの、滞日期限延長問題などにからんで、当局では何らかの結論をつかんだようであった。

当局のアナリストはこう考えた。

――庄司対日暮、吉野対志位、この二組に共通したものは、ラストヴォロフの評価の高い者が簡単に当局の捜査に協力し、彼の評価の低い者が、非協力的だということである。

――都倉氏もまた、スパイにならなかったといって、けなしている。評価は低い。

――けなされた者は、庄司氏と吉野氏だ。そして、都倉氏だ。

アナリストは、そう考えこみながら、机上の一冊の雑誌を取って眺めた。三十年三月二十五日号の日本週報である。そこには「北海道を狙う軍事基地、南樺太の実態」という、大きな見出しが躍っている。筆者の菅原道太郎という名前と、その経歴とが書かれてあった。彼は意味もなく、その経歴を眼で追っていった。

――大正十一年北大農学部卒、昭和三年樺太庁農事試験所技師、昭和二十年赤軍進駐後、ソ連民政局嘱託となり、日本人食糧増産を督励中、反ソ容疑をもって逮捕投獄せらる。昭和二十二年証拠不充分で、ハバロフスク検事局で不起訴となり帰国。昭和二十四年連合軍総司令部情報部特殊顧問。昭和二十九年同退職しソ連研究に専心、著作に従事。

――ウム、菅原氏も樺太でスパイ誓約をさせられ、ラ氏の手先にさせられた。そして、ラ氏は賞めていたが、彼もまた快く当局に協力してくれた人物である。つまり、ラ氏の評価は高いがそれを裏切って、当局に協力してくれている。

――庄司対日暮、吉野対志位、都倉対菅原。何と対照的なことだろうか?

彼は雑誌を机上に落した。そこにはまた新聞の切抜きが二枚。五月十八日付の朝日新聞社告であり、五月二十一日付の朝日新聞のトップ記事である。社告には、朝日の海外特派員の、異

動と新配置が報じられ、清川勇吉氏をモスクワ駐在としてあった。そして、もう一枚はその入ソ第一報であった。