日暮信則」タグアーカイブ

最後の事件記者 p.236-237 日暮、庄司、高毛礼の検挙

最後の事件記者 p.236-237 だから、〝スパイは殺される〟という。このラ事件の日暮事務官、三橋事件の佐々木元大佐など、いずれも形は自殺であっても、この不文律で、〝殺された〟のである。
最後の事件記者 p.236-237 だから、〝スパイは殺される〟という。このラ事件の日暮事務官、三橋事件の佐々木元大佐など、いずれも形は自殺であっても、この不文律で、〝殺された〟のである。

ラ書記官の失踪はソ連代表部から警視庁へ捜索願いが出たことから表面化したのだが、その外交官は、実は内務省の政治部中佐で、スパイ操縦者だったというばかりか、失踪と同

時に、米国へ亡命してしまったということが明らかになった。

この事件ほど、当局にとって、大きなショックだったことはあるまい。米側の手に入ったラ中佐は、直ちに日本を脱出、在日ソ連スパイ網について供述した。その間、日本側が知り得たことは、ラ中佐の失踪を知って、警視庁へ出頭してきた、志位正二元少佐のケースだけである。

一月二十七日、代表部から捜索願いが出されて、二十四日の失踪が明らかになると、志位元少佐は保護を求めて、二月五日に出頭してきた。二等書記官が実は政治部の中佐、そして、ソ連引揚者で、米軍や外務省に勤めた元少佐参謀。この組合せに、当局は異常な緊張を覚えたが、肝心のラ中佐の身柄が、日本に無断のまま不法出国して、米本国にあるのだから話にならない。

ヤキモキしているうちに、米側から本人を直接調べさせるという連絡があり、七月中旬になって、公安調査庁柏村第一部長、警視庁山本公安三課長の両氏が渡米して、ラ自供書をとった。

両氏は八月一日帰国して裏付け捜査を行い、日暮、庄司、高毛礼三外務事務官の検挙となったのだ。もっとも五月には、米側の取調べ結果が公安調査庁には連絡された。同庁では柏村第一部長直接指揮で、外事担当の本庁第二部員をさけ、関東公安調査局員を使って、前記三名の尾行、張り込みをやり、大体事実関係を固めてから、これを警視庁へ移管している。

この事件は、つづいて日暮事務官の自殺となって、事件に一層の深刻さを加えた。東京外語ロシア語科出身、通訳生の出で、高文組でないだけに、一流のソ連通でありながら、課長補佐以上に出世できない同氏の自殺は、一連の汚職事件の自殺者と共通するものがあった。現役外務省官吏の自殺、これは上司への波及をおそれる、事件の拡大防止のための犠牲と判断されよう。そして犠牲者の出る事実は、本格的スパイ事件の証拠である。

スパイは殺される

ソ連の秘密機関は大きく二つの系統に分れていた。政治諜報をやる内務省系のMVDと、軍事諜報の赤軍系のGRUである。三橋のケースはGRU、ラ中佐はMVDであった。第二次大戦当時、ソ連の機関に「スメルシ」というのがあった。これはロシア語で、〝スパイに死を!〟という言葉の、イニシアルをつづったものだ。

だから、〝スパイは殺される〟という。このラ事件の日暮事務官、三橋事件の佐々木元大佐など、いずれも形は自殺であっても、この不文律で、〝殺された〟のである。日暮事務官はなぜ死んだか? もちろん、東京地検で、取調べ中の飛び降り自殺だから、遣書などありようはずがな

い。

最後の事件記者 p.238-239 なぜ妻子を残して死なねばならぬ

最後の事件記者 p.238-239 日暮、庄司両氏は、「新日本会」というソ側への協力的団体のメムバーだった。ことに日暮は佐藤大使の秘書的な立場にいたので、一番重要な人物と目されていた。
最後の事件記者 p.238-239 日暮、庄司両氏は、「新日本会」というソ側への協力的団体のメムバーだった。ことに日暮は佐藤大使の秘書的な立場にいたので、一番重要な人物と目されていた。

だから、〝スパイは殺される〟という。このラ事件の日暮事務官、三橋事件の佐々木元大佐など、いずれも形は自殺であっても、この不文律で、〝殺された〟のである。日暮事務官はなぜ死んだか? もちろん、東京地検で、取調べ中の飛び降り自殺だから、遣書などありようはずがな

い。

高毛礼元事務官の一審判決は、「懲役一年、罰金百五十万円」である。彼は報酬として四千ドル(百四十四万円)をソ連からもらっているので、この罰金がついたのである。納められなければ、一日五千円に換算して、労役場へ留置する、とあるから、これが三百日になる。合計して一年十カ月の刑である。日暮と同じ程度の刑だから、なぜ妻子を残して死なねばならないのだろうか。

終戦時の在モスクワ日本大使館。そこでは佐藤尚武大使以下、在留日本人までが館内に軟禁されていた。そして、この軟禁につけこんで、ソ連側では、スパイ獲得工作の魔手をのばしてきた。「幻兵団」と同じである。

これは、ラストボロフの自供した、ソ連代表部のスパイ一覧表をみれば明らかだ。ラ中佐の亡命時に、狸穴の代表部直結のスパイは四十八名いた。これを所属別に分類すれば、MVD四十三名、GRU三名、海軍二名、人種別では、日本人三十五名、白系ロシヤ人七名、その他の外国人六名となっている。

三十五名の日本人を、さらに分類すると、戦後ソ連抑留者二十名(幻兵団)のほか、外務省官

吏、新聞記者、旧将校らとなっている。日暮、庄司両氏は、終戦時にモスクワにいたばかりではなく、「新日本会」というソ側への協力的団体のメムバーだった。ことに日暮は佐藤大使の秘書的な立場にいたので、逮捕された三人のうちでは一番重要な人物と目されていた。

彼らが逮捕された時の、みじめな私を忘れることができない。八月十四日の公安三課のラ事件のその後の経過発表も、私の公休日という悲運だった。しかも、その時には、すでに日暮、庄司両氏を逮捕していたのである。私は休日出勤してきて、かねて準備していた、志位元少佐の記事を書いた。これはスクープではなかったが、読売が一番詳細、正確な記事だった。

不覚の涙

だが、そのあとがいけない。感じとしては誰かを逮捕しているようなのだが、全くつかめない。私用を抱えていた私は、公休日でもあったので、取材をいいかげんで投げ出してしまった。そして、出かけようとした時、一人の親しいニュース・ソースに出会った。

『お忙しそうにどちらへ?』

『イヤ、ちょっと、なに……』

『アア、目黒ですか』

彼は一人で納得してうなずいた。

最後の事件記者 p.240-241 私は特ダネ記者といわれた

最後の事件記者 p.240-241 私は泣いた。これほどの醜態はなかった。新聞記者には、「紙面で来い」というタンカがある。「紙面に現れた結果」で、勝負を争う実力の世界である。
最後の事件記者 p.240-241 私は泣いた。これほどの醜態はなかった。新聞記者には、「紙面で来い」というタンカがある。「紙面に現れた結果」で、勝負を争う実力の世界である。

不覚の涙

だが、そのあとがいけない。感じとしては誰かを逮捕しているようなのだが、全くつかめない。私用を抱えていた私は、公休日でもあったので、取材をいいかげんで投げ出してしまった。そして、出かけようとした時、一人の親しいニュース・ソースに出会った。

『お忙しそうにどちらへ?』

『イヤ、ちょっと、なに……』

『アア、目黒ですか』

彼は一人で納得してうなずいた。いつもの私なら、ここで「エ? 目黒?」と、ピンとくるはずだったが、それを聞き流してしまったのである。

翌十五日の日曜日朝、私は朝日をひろげてみて、胸をつかれた。不覚の涙がハラハラと紙面に落ちてニジんだ。朝日のスクープは、一面で日暮、庄司の現役公務員の逮捕を報じているではないか。

しかも、読売はどうであろうか。「政府高官逮捕説を、警視庁が否定」と、なくもがなの断り書を、小さな記事ではあるが、出しているのである。昨夜、電話で、「警視庁は誰も逮捕していないと、否定していますよ」とデスクに断ったのが、記事になっている。確かに、平事務官なのだから、〝政府高官〟ではないかもしれない。しかし、朝日が逮捕をスクープして、読売が否定しているのでは、あまりの醜態であった。デスクが、「じゃ断り書を記事にしておこう」といった時、私は「そんなのは、デスクの責任逃れだ」と思っただけで、あえて反対しなかったのも、痛恨の限りであった。

調べてみると、この両名の逮捕は、警視庁が極秘にしていたのを、この事件を防諜法制定の道

具に使おうと思っていた緒方副総理が、朝日の政治部記者へ洩らしたのだ、といわれている。その上、「目黒へ」といった係官から聞けば、彼は私が急いでいたので、ちょうどまだガサ(家宅捜索)をやっていた、目黒の庄司宅へ行くのだと思ったという。つまり、私がすでに庄司、日暮の逮捕を知っているものだと極めこんでいたのであった。

私は泣いた。これほどの醜態はなかった。取材源が警視庁だろうが、内閣だろうが、新聞記者には、「紙面で来い」というタンカがある。取材源や取材の経過などは、それほど問題ではないということだ。「紙面に現れた結果」で、勝負を争う実力の世界である。

私は特ダネ記者といわれた。それがこのていたらくであった。もちろん、私の記録の中にも、輝かしいものばかりではない。失敗のみじめな歴史も多い、だが、この時ほどに、ニガい思い出はない。

横井事件の犯人隠避も、惨敗の記録ではある。しかし、これは爽快な敗け戦である。思いかえしてみて、いささかも恥じない。快よい記憶である。「紙面で来い!」と、タンカをきりそこねたのである。しかも、私の先手を警察に奪われて、警察の先手を、また奪い返したからである。

スパイ事件は私のお家芸であったのだ。それで、あの三橋事件の勝利も、自信をもって戦えた

からである。それなのに、最後の「目黒へ?」という言葉も、聞き流してしまうとは!

朝日をみつめながら、私のホオはまだ涙でぬれていた。

最後の事件記者 p.242-243 いま、お医者さんが来るから

最後の事件記者 p.242-243 妻は、もう顔面が蒼白、力ない表情で私をみる。暁の町を走って、医者を叩き起した。ドン、ドンと叩いても、返事のないいらだたしさ。——死ぬのかな! 不吉な予感が走る。
最後の事件記者 p.242-243 妻は、もう顔面が蒼白、力ない表情で私をみる。暁の町を走って、医者を叩き起した。ドン、ドンと叩いても、返事のないいらだたしさ。——死ぬのかな! 不吉な予感が走る。

記者は悲し

八月二十八日、日暮事務官が飛び降り自殺をした。この日も私は公休日であった。前夜から、雑誌原稿を徹夜で書き続けていたが、ラジオは入れっぱなしだ。やがて正午のニュースが、自殺事件を伝えた。

——迎えが来るナ。

もう数枚で原稿は終るところだ。そう感じていると、ちょうど書きあげた時、迎えの自動車がきた。

妻は二度目のお産で、もう予定日だった。二度目だから自宅で生むという。そのため、この八月へ入ってから、何かと雑用の多い毎日だったのである。日暮事務官の自殺とあれば、事件はいよいよ深刻化しよう。もしかすると、今夜は帰れないかもしれない。私は、妻の手を握って、その旨を話し、無事にお産を済ませるようにと、激励した。一睡もしないまま、社へ出た。

それから丸一日、取材のため駈けずり廻って、社会面の全面を埋める、「ラストボロフ事件の真相」という原稿を、数人の記者たちとまとめた。三部作である。

第一部が、志位自供書、第二部、捜査経過、第三部の解説——最終版の校正刷りを見終って、帰宅したのは午前四時、くずれるように眠りこんだが、約一時間ほどで母に叩き起された。

『アト産が出ないので、出血が止らないのよ。すぐお医者さんを呼んできて……』

隣りの部屋に入ってみると、血まみれの胎児は、まだ臍帯をつけたまま、何かボロ屑のように投げ出されて、産婆さんが狼狽しきっている。妻は、もう顔面が蒼白、力ない表情で私をみる。

暁の町を走って、医者を叩き起した。ドン、ドンと叩いても、返事のないいらだたしさ。事情を話して往診をたのみ、自宅へかけもどってきた。

『オイ、確りしろよ、いま、お医者さんが来るから』

励ましの言葉をかけても、もう妻には答える気力もない。剥離しない胎盤のため、刻一刻、血が流出しているのだ。

——死ぬのかな!

不吉な予感が走る。もし、今夜の仕事が、張り込みにでもなっていたら、どうだったろうか。

私は妻の死に目にもあえない!

赤い広場―霞ヶ関 p044-045 庄司・日暮の逮捕と山本調書。

赤い広場―霞ヶ関 p.44-45 庄司・日暮の逮捕と山本調書。
赤い広場ー霞ヶ関 p.044-045 Arrest of Shoji and Higure. And Yamamoto report.

多くの人が任意出頭という形式で呼ばれて調べられたり、訪ねてきた刑事に訊かれたりし

た。尾行や張り込みも行われた。

そして八月十四日の朝、庄司、日暮両氏の逮捕後、あの日米共同発表となったのである。

だが、九月三日になって、いつの間にか山本課長は調書もとらず、米側の作った英文供述書をもらっただけ(同日付朝日新聞)ということになり、さらに東京地検の長谷、桃沢両検事が、ラ氏の供述調書をとるために米国に派遣されるということになった。

これは一体どういうことなのか。表面の理由は「もともとこの種の事件は証拠が乏しいうえに、端緒となったラ氏はアメリカに保護されており、柏村、山本両氏の持帰った供述書もかなりぼんやりした、いわば〝手記〟のようなもので、警察官調書でも検察官調書でもなく、刑訴法上の証拠としては疑問があり、公判となった場合、問題となることは当然予想され た」(同上朝日)というのである。

この「証拠力が弱い」という理由は確かに事実ではあるが、そのすベてではない。山本調書はラ氏の署名もある立派な「司法警察員の調書」である。確かに証拠力が弱いという点はあるが、それよりも重大なのは、この調書が証拠として公判廷へ提出されれば、被告の弁護人は自由に閲覽し得るということである。この時にはすでに、庄司氏に自由法曹団の共産党弁護士がつき、庄司氏自身が黙否と否認で徹底的に法廷闘争する能度をみせており、事実、拘留理由開示法廷では『逮捕に政治的なにおいがある』と激昂するほどだったのである。

そこへこの調書を出すことは、当局側の手の内を、すべて見せることになる。山本調書には、庄司、日暮両氏関係以外の、ソ連スパイ網のことが記録されているのである。当局は遂に大蔵省に接衝して、予備費から百四十万円を支出させ、再び二人の検事を派米して、両氏関係だけの調書をとることになったのだ。そして、山本調書は警視庁のスチール・ボックスの奥深く隠され、残存ソ連スパイ網への捜査が続けられている。その意味では、〝ラストヴォロフはまだ日本にいる〟のである。これが「山本調書」の正体である。

さて、このラストヴォロフ騷動が、一まず静まった九月二十七日付の「アカハタ」紙は、

アメリカ諜報機関は、これまで三鷹、下山、松川事件のような謀略虐殺事件から、鹿地、三橋、関、ラストヴォロフ書記官事件にいたるまで、スパイ、挑発事件を数限りなく起して、日本人を苦しめてきた。舞鶴におけるCICの帰還者に対する調査は、これら一連の事件と無関係ではない。

として、「アメリカ諜報機関、帰国者をスパイ、舞鶴へ旧日本軍特務を派遣」なる記事を大 きく掲載した。

これは「シべリヤ横断軍事スパイ福島大将」を父に持つ「戦時中は北京、済南などで特務機関幹部として、侵略特務工作をやり、無数の中国人民を犠牲にした」「元陸軍少将男爵福島四

郎(六七)を中心とする謀略機関」が「CICの指導で引揚者の思想調査と謀略に従事」している、という内容である。

赤い広場―霞ヶ関 p048-049 ラストヴォロフ事件は内調のデッチあげ、と。

赤い広場―霞ヶ関 p.48-49 ラストヴォロフ事件は内調のデッチあげ、と。
赤い広場ー霞ヶ関 p.048-049 The Lastvorov case was fabricated by the Cabinet Research Office…

ソ同盟、中国をはじめ、共産党や大衆団体の情報を提供している。

そして三たび、三十年二月二十七日付「アカハタ」は「アメリカ諜報機関と日本官憲の謀略工作」と題して、八段二百八十四行の大記事を掲げた。

……ことにかれらは、最近新しい謀略事件を予定の計画として準備している事実があり、第二の松川事件、第二の鹿地事件が企らまれている。しかもこの憎むべき企らみは、アメリカ諜報機関と、その奴隷になりさがっている、警視庁、公安調査庁、外務省の重要な部分が関係をもっていることである。これはラストヴォロフ事件の正しい事実が、これら売国奴どもによって、国民の前から覆い隠されてしまっている事実と合せて考えるなら、こんどのかれらの動きの背後に重大な問題があることがわかる。(前文)

この男は中尾将就(四五)――東京都板橋区上赤塚町七五――である。かれは常盤相互銀行飯田橋支店に勤めていることになっているが、それはうわべのことで、実は彼はアメリカ諜報機関員である。中尾は他の多くのスパイ分子の例にもれず、戦前の転向脱落者である。……この手はかれらがいつも使うやり口で、馬場機関の清水郁夫が、当時電產統一委の活動家だった宗像創を、スパイの手先に引ずり込み、「日共の電源爆破」という謀略事件をデッチあげたのも、このやり口からはじめていた。

中尾将就と同じアメリカ諜報機関員で、中尾とともに活発に動いているのが山口茂雄(四一)――

東京都北多摩郡泊江町和泉二六四の六――である。……山口、中尾と緊密な連絡をとりながら、アメリカ諜報機関の対日対ソ謀略に協力している分子は相当数あるが、そのうちで特徴的なものは、次のような人間である。

ここまで、記事の半分を費して、中尾、山口両氏の紹介をしている。それからさらに人名とその〝悪事〟の紹介が続く。

望月は日米合作の官設スパイ機関である內閣調査室の、庶務部広報班員と情報文化班員をかねた任務をもつ男だ。……

川村三郎は公安調査庁調査第一部調査第三課第二係長である。かれはラストヴォロフ事件と深い関係があり、当時もっとも活潑に活動していたのである。ラストヴォロフ拉致事件を合理化するために、アメリカ側の指示で渡米した柏村信雄は、当時この調査第一部の部長であった。

高橋正は外務省欧米局第五課員である。ラストヴォロフ書記官が、日本で多くの日本人を手先にして、スパイを働いていたかのようにデッチあげ、白昼外国の首都で外交官を拉致するという、アメリカ諜報機関の不当行為を正当なものと思わせ、かえって反ソ反共の気運をもりたてようとした、同事件の経過とこの課は関係が深い。緒方自由党総裁につながる当時の内閣調査室長村井順と、当時の外務大臣岡崎の子分の曾野明の二つの謀略線が、ラストヴォロフ書記官の拉致に関係深いことを、隠しきる自信をなくして自殺した日暮信則は、この課の課長補佐で、しかも当時内閣調査室の情報部海外 第一班(対ソ情報)の班長を兼任していたのである。

赤い広場―霞ヶ関 p050-051 ソ連代表部の指示で書かれたアカハタ記事。

赤い広場―霞ヶ関 p.50-51 ソ連代表部の指示で書かれたアカハタ記事。
赤い広場ー霞ヶ関 p.050-051 Akahata’s article is written under the direction of the Soviet delegation.

自殺した日暮信則は、この課の課長補佐で、しかも当時内閣調査室の情報部海外

第一班(対ソ情報)の班長を兼任していたのである。高橋は日暮の死によって一位上位にのぼって ソ同盟関係の諜報活動をやっている。

大隅道春は旧海軍の特務機関にあたる海上幕僚監部調査課勤務の三等海佐(海軍少佐)。

その他SP(ソヴエト・プレス)通信社の倉橋敏夫社長、キャノン機関の韓道峰(韓国人)、台湾引揚者の中島辰次郎、白系無国籍人のチェレムシャンスキーなどの各氏の名を、もつたいらしく並ベている。二人の民間人、四人の公務員、最後につけたりのような民間人や外国人。そしてこの記事の結びには、

この張本人はアメリカ諜報機関と警視庁であり、警視庁では警備第二部公安第三課長渡部正郎警視と、公安第一課長山本鎮彥警視正(前公安第三課長)である。

とある。

多くの紙数を費して「アカハタ」の記事を転載したが、このそれぞれラストヴォロフ事件の一月半後、その二ヶ月後、さらに三ヶ月後と間をおかれて掲載されたこの三つの記事は、並べて読んでみると、ラストヴォロフ事件についての、一貫した意図と目的とをもって書かれた記事であることが明らかである。

これは「アカハタ」や「真相」が幻兵団事件を徹底的にデマだと主張し、「アメリカの秘密

機関」の著者山田泰二郎氏が、一方的に米諜報機関だけを曝露したのと同じように、ラストヴォロフ事件で明らかにされたソ連スパイ組織の恐怖を、真向から否定して宣伝し、その憎悪を警察当局、ラ事件の捜査当局幹部に集中させようと意図しているのである。

だがそれよりも重大なのは、「アカハタ」の読者である、シンパや末端党員たちに〝心の準備〟をさせようとしていることである。

〝心の準備〟とは何か。ラストヴォロフ事件の捜査の進展と同時に、ソ連スパイ網が如何に国民各層の間に、巧妙に浸透していたかということが、いわゆる〝ブル新〟によって記事になったとき、それは〝ブル新のデマ〟と主張するための伏線である。

この三回の記事には、捜査当局が極秘にしている「山本調書」の内容の一部が明らかにされている。しかも、この三回の記事の時間的間隔は、同時に捜査の時間的経過におおむね付合して、しかも一手早いのである。「山本調書」の内容が、部内からアカハタに洩れるはずがない とすれば、この三回の記事はラストヴォロフ・スパイ網の内容を知っている、元ソ連代表部からの指示によって書かれたものだと判断されるのである。

 二 スパイは殺される! 二十九年八月二十八日午後、取調中の日暮氏が東京地検の窓から飛びおりて死んだ。三橋事件の佐々木元大佐といい、今度といい、ソ連のスメルシ(スパイに

死を!)機関の名の通りであり、「スパイは殺される」という不文律の厳しさを想って暗然とせざるを得なかった。

赤い広場―霞ヶ関 p052-053 日暮飛び降り自殺。その真相。

赤い広場―霞ヶ関 p.52-53 日暮飛び降り自殺。その真相。
赤い広場ー霞ヶ関 p.052-053 The truth of Higure jumping and committing suicide.

ソ連のスメルシ(スパイに

死を!)機関の名の通りであり、「スパイは殺される」という不文律の厳しさを想って暗然とせざるを得なかった。

取材の対象は「何故自殺せざるを得なかったか――その真相」である。有罪でも最高たかが一年の刑である。日暮氏が逮捕された時、氏をよく知る(という意味は、氏の性格とか人となりばかりではなく、日暮氏が逮捕されるにいたった理由や経過を含めて)某氏から、私は忠吿を受けていた。彼は予言者のように、確信にみちてこうささやいた。

『日暮は……死にますよ』

私は息をつめて彼の顔を見返した。

『エ! やりますか?』

『やりますとも! 〝スパイは殺される〟ですよ。釈放になったら、すぐその時に会っておかねば馱目です』

流石の某氏も留置中にやるとは思えなかったらしい。しかし、死ぬべく運命づけられていた、ということでは、この某氏の判断が正しかったのであった。

自殺直後、調べ官の東京地検公安部長谷副部長検事は新聞記者たちに『自殺の原因については思いあたるフシもあるが、供述の内容にふれるので今はいえない。供述はある程度経った後

だった』と語っている。つまり、自殺の動機や真相のカギは、この長谷検事の調書にあるわけであるが、この「長谷調書」も「山本調書」と同じように筐底深く蔵されて、極く少数の関係係官以外には読んだ人とていない。

自殺の真相をたずねるため、ここでラストヴォロフと警視庁との間の、一つのエピソードを語ろう。ラ氏がヮシントンで山本課長にいった別れの言葉、『もう一度東京で暮らしたい。……だけど,その時には、もう貴下の部下も私を尾行しないでしょうね』という言葉にまつわる話である。

ラ氏はその手記でも述べているように、アメリカ人工作も任務としていた。そのためには麻布の東京ローンテニスクラブの会員になって、ジョージという通称で、米人たちと友人として 親しくつきあっていたのであった。

彼の手記にでてくる「ブラウニング夫人」なる米婦人についての情報は、日本側当局にはない。ただソ連代表部に出入りした米婦人についてはあるので、或はその婦人がブラウニング夫人なのかも知れない。米軍人については数名のデータがある。

 たとえば、聖路加病院の軍医ラリー大尉である。当局筋の観察ではこのラリー大尉などが、ラ氏の〝西欧びいき〟を決定的にするのに、大きな影響を持った人だったのではないかという。

赤い広場―霞ヶ関 p054-055 米軍一等兵の愛人、鈴木千鶴子。

赤い広場―霞ヶ関 p.54-55 米軍一等兵の愛人、鈴木千鶴子。
赤い広場ー霞ヶ関 p.054-055 Chizuko Suzuki, Mistress of the 1st class soldier of the U.S. Army.

さらにジェニーことヴァイングトンという極東空軍の一等兵がいる。彼には新橋駅付近にたむろする夜の女で、鈴木千鶴子さんという愛人がいたのだった。彼女の新橋での通称は遠慮して、小柄などちらかといえば可愛い型の子である。

ジェニーは一等兵だからあまりお金を持っていなかった。だが、やがてお金をつくる方法を思いついた。部隊の話をソ連人が買ってくれるだろうというのである。ミグで脱出した北鮮人のように、十万弗ぐらいはくれるかも知れないと考えた。しかし、どうしたらそのソ連人に逢えるか分らない。そこで彼女に相談してみた。

彼女の答は簡単だった。

『ソリャ、ソ連大使館できけばいいわよ』

『どうして行って、何てきくんだい?』

『いいわ。アタシが行ったげる……』

こうして彼女は麻布の元代表部に、一人でのこのこと出かけていった。その時に彼女の話に乗ってきたのがラストヴォロフだったのである。

元代表部にはこのほかにも、米兵自身のネタの売込みなどの例があった。しかし、そんなのはとるに足らないので、ウルサク思ったソ連側では、その米兵の部隊に通知してやったということもあった。

彼女の話で、ラ氏は出かけてきてジェニーとレポをした。これをつかんだのが当局である。 こうして、ラストヴォロフ二等書記官は注視され、やがて実は政治部中佐という階級を持つ、 内務省系のスパイ組織者だということまで分ってきた。

そのころにはすでに日本は独立国となり、刑事特別法という、駐留米軍の機密を守る法律ができていたのである。ラ氏の行動は同法違反であるという確信を得た。

当時の課長は、何しろメーデー事件や五・三〇、六・二五各事件で、断乎として大量の朝鮮人を検挙して、〝坊ちゃん課長〟から〝鬼の山チン〟に変えられたほどの山本課長である。土性ッ骨が太くて、思い切ったことを果断実行する人である。

課内の意見は、「現行犯検挙」と決った。さらに、検察庁、外務省など関係当局との間で幾度か会議が開かれ、警視庁の意見が容れられた。この時には伊関国際協力局長、新関欧米第五課長などが相談にのり、検挙後の外交交渉の問題などが研究されていた。そして、新関課長の腹心日暮氏が、また当然その諮問に応じていたのである。

ジェニーの彼女は日本人であった。係官が事件の理由を説明して、率直に彼女の協力を求め た。

赤い広場―霞ヶ関 p056-057 日暮が警察の待ち伏せをラストヴォロフに通報。

赤い広場―霞ヶ関 p.56-57 日暮が警察の待ち伏せをラストヴォロフに通報。
赤い広場ー霞ヶ関 p.056-057 Higure tells Lastvorov the ambush of the police in secret.

彼女ははじめて事の重大さに驚いて協力を約束した。この間の経緯は将来に備えて、正規の警察官調書となって、彼女の署名捺印とともにいまも当局に残されている。

こうして、米兵とラ氏とのレポの時間と場所が判明した。だが、その現場を包囲した係官たちの顔には、ようやく焦躁の色が浮んできた。米兵は定時刻に現れたが、ラ氏は来ないのである。

ラストヴォロフはついに、現れなかった。何も知らない米兵と、何も彼も知っている係官たちとは、それぞれに失意のうちに帰っていった。ラリー大尉も、ジェニー一等兵も、そしてソ連人と親しくしていた他の米兵も、本国へ送還されたことはもちろんである。

「山本調書」には、この件りについて次のようなラ氏の供述が書いてあるという。

……警視庁の係官たちが現場に張り込んでいる。危険である。という日暮からの知らせがあったので、それ以後はその米兵と会うのは止めました。

当時、日暮氏はモスクワ時代の〝事件〟について、率直にその旨を上官に申告していたのである。だが上官たちは、自己にその責任の及ぶことを恐れ、また或いは対ソ情報源としてその〝事件〟と〝事実〟とを黙認していたといわれている。もしこれが事実ならば、この上官たちには何の責任もないものだろうか。日暮氏のこのラ氏への通報は、明らかに公務員法第百条違

反であろうが、日暮氏一人に負担させられるべき性質の問題だろうか。

また日暮氏の供述には新日本会グループのことがある。私はこのことを〝説“として以下に紹介したが、彼はこれを〝事実〟として供述しているのである。

さらにまた、内閣調査室における複雑な彼の立場がある。彼はまたこの事実も語っているのである。

自供しようが、否認しようが、また、その名前が公表されようが、されなかろうが、〝スパイ〟は殺されるのである。長谷検事はこういっている。『きよう出来上った調書が問題で、内容を明らかにすれば自殺者の気持が判ると思う』(八月二十八日付毎日夕刊)

一切を否認して、左翼系の自由法曹団の庇護を受けて強弁する庄司氏の態度よりは、率直に一切の真相をブチまけ、ソ連の諜報謀略工作の全貌を当局に教え、さらに政府内部への忠告として、外務省幹部たちの氏名と、その非日活動(という言葉が当るならば)の事実とを曝いた、日暮氏の勇気ある行動は、やがて史家によって認められ、賞讃に値することになるに違いない。

後に遺された幼い子供達の、健やかな成長のためにも、その日のあるを願ってやまない。日暮氏もまた、ソ連スパイ組織の脅迫と強制とによって、その平和と幸福とを奪われた一人であるから……

赤い広場ー霞ヶ関 p.070-071 内閣調査室設立と村井・日暮・曾野の三角関係

赤い広場ー霞ヶ関 p.070-071 The Cabinet Research Office and Triangular relationship between Murai, Higurashi, Sono
赤い広場ー霞ヶ関 p.070-071 The Cabinet Research Office and Triangular relationship between Murai, Higurashi, Sono

まずこの内調の基礎的な条件からみてみよう。これは村井氏が企画立案したもので、綜合的

な情報機関として、その設立を各方面に進言し、自らその責任者となって発足した。そして治安情報の一元化を図るというので、治安関係各省から専門家を供出させて、これらの出向者で出来上った寄合世帯であった。

この時、責任者となったのは〝内務官僚のソ連通〟村井氏であったが、〝外務官僚のソ連通〟曾野明氏もまた、次長格で出向する予定だった。しかしオーソリティを以て任ずる曾野氏は、村井氏の下風につくのを嫌って、その部下の日暮信則氏(ラ事件で二十九年八月十四日逮捕され、同月二十八日自殺した)を出向させたといわれる。

日暮氏はソ連畑の生え抜きで、欧米五課(ソ連関係)の前身である調査局第三課時代から当時の曾野課長の部下として、ソ連経済関係の情報収集に当っていた。曾野氏は二十二年四月調査二課長から同三課長に転任、いらい二十六年暮情報文化局第一課長になるまで、日暮氏の直接の上官であったばかりでなく、情報局に移ってからも日暮氏を引立てて、自分の関係雑誌や講演会に出させていた。

日暮氏もまた反共理論家として、曾野氏と共鳴するところが多く、郷里茨城県選出の自由党代議士塚原俊郎氏はじめ、官房長官だった増田甲子七氏ら政府有力者と、曾野氏との橋渡しをしていた。そして曾野氏は内閣調査室を蹴飛ばす一方、いわば商売仇の村井氏が何をするかを探らせるため、腹心の日暮氏を出向させたのだともいわれている。

一方村井氏はまた大いに日暮氏を信頼しており、ソ連月報の編集はもとよりその外遊記録である著書の草稿まで書かせたといわれ、ここに村井氏の腹心(度々腹心という言葉を使うが、日暮氏のソ連通としての能力は第一人者で、ことソ連に関して仕事をしようという役人は、誰でも日暮氏を腹心の部下として、その能力に頼らざるを得なかったのである)としての日暮氏、村井氏と敵対関係のような立場にある曾野氏の腹心としての日暮氏といった、村井―日暮―曾野の奇妙な三角関係が生れたのである。

さて、ヤミドル事件である。村井氏は二十八年八月十日「各国治安および情報機関の現況実情調査のため」という目的で、総理府事務官兼外務事務官という資格で、ラングーン経由、スイス、西独、フランス、イギリス、アメリカ、イタリヤ、スエーデンに行くとして、外交官旅券の申請をしている。

しかし、外部に対しては「MRA大会出席のため」という目的を発表した。その費用については二十八年九月二十三日付時事新報が

内閣調査室の語るところによると「村井氏は私費旅行であり、その旅費は中学同窓の某氏(この人もMRAに参加)の篤志によったものだと聞いている、調査室の公費は全然用いていない」というこ とである。

赤い広場ー霞ヶ関 p.074-075 デマの出所は曾野氏なのか?

赤い広場ー霞ヶ関 p.074-075 Is the false rumor coming from Sono?
赤い広場ー霞ヶ関 p.074-075 Is the false rumor coming from Sono?

これについて、村井氏はこの四案を携行して、米CIA長官アレン・ダレス氏か、もしくは

その最高スタッフに会って、その意見をきくための外遊だったという。そしてそのために吉田首相の直筆の書簡をも、持って出かけたというのである。

もともと村井―日暮―曾野という三角関係では、村井、曾野両氏とも、日暮氏の〝特殊な事情〟を充分承知していた。ただ村井氏は積極的に日暮氏にソ連人との接触を認めて、その対ソ情報の確度を高めさせようとしていた、といわれるのに対し、曾野氏の方がズルクて、日暮氏とソ連人との接触を知っておりながら、知らぬ振りをしてその対ソ情報だけを吸上げていた、といわれているのである。

いずれにせよ日暮氏は村井氏の腹心であったから、村井氏の外遊目的を知っていた。そしてその目的がラ氏を通じて流れた。

ここで余談になるが、英国の諜報機関について一言ふれておこう。ソ連の機関員は党員で、しかも訓練と教育をうけた経歴のあるものでなければならない。英国のシークレット・サービスは、親子、孫という深い家系によらなければならぬという鉄則がある。これがソ連と英国の秘密機関の伝統であり、その世界に冠たる所以でもあるのだ。

この英国の機関は、対米という点ではソ連機関の線とダブッている場合が多い。そこで日暮―ラストヴォロフと流れた村井外遊の真相は、英国秘密機関の同時にキャッチするところとなり、上川私信の通りワーン飛行場に英国諜報官が出迎えることになったのであろう。

さて村井氏が、この〝情報〟の伝える真の使命を、書類を奪われることなく果し得たのか、或は上衣まで切開かれて、君命を辱しめたのか、そこは分らない。そしてまたこのような国家的秘密、ましてや吉田秘密外交のそのまた秘密などは、一新聞記者の身として、第三者に提示し得るような確証を得ることは、不可能に近いのである。

もちろん、村井氏は否定した、肯定するはずはあるまい。ただ筆者としては、そのニュース・ソースである〝信ずべき筋〟への信頼の度合と、その前後に現れた具体的徴候とによってのみ、僅かに判断し得るのである。

「三千ドルのヤミドルで腹巻まで切り開かれた」というデマの根拠は、上川氏が曾野氏へあてた前記の私信である。しかも、その私信には「上衣まで切り開かれた」とはあるが、三千ドルのヤミドルなどとは全く書かれていない。根拠となった私信が、曾野氏宛のものであるからには、デマの出所も曾野氏と判断されても致し方がなかろう。

村井―日暮―曾野という線で、村井氏の外遊目的を知っていた曾野氏も、その国家的影響を考えて、一切をバクロすることを慎んだのではあろうが、村井氏の旅費が国庫から出ていないという、不明朗さを同時に衝くためにも、このような三千ドルのヤミドルというつけたり で、デマをまくようにしたとも判断されるのである。

赤い広場ー霞ヶ関 p.078-079 内務官僚と外務官僚の争い

赤い広場ー霞ヶ関 p.078-079 A rivalry between domestic and foreign affairs bureaucrats
赤い広場ー霞ヶ関 p.078-079 A rivalry between domestic and foreign affairs bureaucrats

今日のように国際的な連関性が強化された情勢下において、情報の大事なことは、あながち

外交ばかりではない。政治も経済も、内政すべてがそうである。もはや、「情報なくしては一国の存立はあり得ない」時代となりつつある。これを想えば、警備警察制度の提唱といい内調の創設といい、初代室長村井氏の先見の明は賞さるべきである。

この秋に内閣調査室という実績の上に地歩を占める者が、将来を制するとみた外務官僚は地歩を占めつつある内務官僚に対して、あらゆる挑戦を試みつつあるのだとみるのは、あまりにもうがちすぎた見方であろうか。

調査室もやがては、米国のCIAにも似た組織となって、情報、諜報、広報、謀略とあらゆる意味の情報活動を行う、強力な機関に変身してゆくであろう。日本が自由、共産いずれの世界にあるとを間わず、それは国際的、国家的要請なのである。

今はその前夜である。それだけに内務、外務官僚の争いは関ヶ原である。

だが、この争いが、果して日本という国家への、真の貢献を願っての争いであるか。官僚の中のセクショナリズムの、醜い争いではないか。怪文書に示唆されたものは官僚という怪物―ゴジラとアンギラスが〝党利党略〟に相搏つ姿をわれわれに想起させる。

情報機関という国家権力は、自由の弾圧を伴う危険があるという両刃の剣だけに、その主導権争いはわれわれにとってもなおざりにはできないのである。

このような内調をめぐる幾つかの事件は、村井―日暮―曾野という三角関係が中心になっていたことは争えない事実である。そして日暮氏はラ事件の容疑者の一人である。

ソ連の恐るべきスパイ網は、このようにして〝日本の機密室〟にも浸透していたのであった。怪文書にいう「ラストヴォロフは日本に居る!」の見出しも、あながちデマではなかったといえよう。

では、ヤミドル事件の結末はどうなっただろうか。ともかく帰朝後の村井氏に対する吉田首相の覚えは極めて悪く、斎藤国警長官が間に入って、村井氏を京都府警察本部長に拾ったといわれる。

一方、外務省側の異動を見ると、曾野氏はヤミドル事件直後の十月一日付でボンのドイツ大使館参事官に転出している。これは喧嘩両成敗ともいわれるが、外務省内では定期的な異動で、村井ヤミドル事件とは関係がないという意見もある。 また二十六年末の職制改革で、欧米五課長という日暮氏の上官になった新関氏は、ラ事件後の二十九年八月スエーデン公使館一等書記官に、伊関局長も同月香港総領事に転出した。これも定期的で内定していた異動であるといわれ、新関氏の場合など、まだラ事件は明らかにはなっていなかったとして、その事件と異動の無関係を主張する者もある。

赤い広場ー霞ヶ関 p.080-081 吉野松夫・元関東軍ハルビン特務機関員

赤い広場ー霞ヶ関 p.080-081 Matsuo Yoshino, the Harbin secret military agent of the Kwantung Army
赤い広場ー霞ヶ関 p.080-081 Matsuo Yoshino, the Harbin secret military ex-agent of the Kwantung Army

しかし、ラ事件に関する日米往復文書をみると、一月二十七日付アリソン大使の通報に対し岡崎外相は翌二十八日付で、実に完全な抗議の申入れを行っている。「厳重に貴大臣限りの極秘の情報」という条件付文書に対し、外相の返事は完璧なものであるから、これには当然事務当局が関係しており、しかも捜査当局も参画した形跡があるので、この異動が無関係とはいいきれないと思う。複雑怪奇な外務省高官たちではある。

この間の真相を村井氏は否定するが、日暮氏は知っていた。そして「アカハタ」はラ氏失踪が、村井―日暮―曾野の三角関係の謀略だと、先手でいっている。

四 志位自供書に残る唯一の疑問

「山本調書」にはさらにラ氏の供述として「吉野松夫」なる人物についての、詳細な活動状況が書かれてある。この吉野氏は前述のアカハタでは〝警察の手先〟として、激しい罵言を浴せられているのは、すでに紹介した通りである。

これは一体どうしたことであろうか。ラ事件に関連して、吉野氏の名前が公けにされたのは、アカハタについで、私が二回目だ。つまり、私が彼の名前を明らかにする以前に、アカハタが彼を敵陣営の人間として極めつけているということだ。しかし「山本調書」には、吉野松夫氏が如何なる人物を使用し、如何なる手段で、如何なる情報を入手して、そして、その情報をラ氏に提供していたかということが、ラ氏の任意の供述として記録されている。

このように、その情報原や獲得法などの詳細についてまで報告していたことについては、ラ氏は『その情報が如何に確度が高く、如何に経費を投じ、如何に努力をしたか、ということで、報酬を多額に要求しようとする伏線だと考えていた』と、吉野氏を批判しているという。

同氏は元関東軍ハルビン特務機関員で、白系露人工作を担当、チョウル白系開拓団の監督官ともいうべき形で副村長をしており、セミョーノフ将軍(白衛軍、日本側白系軍の軍司令官)の姪を妻にしていたといわれる。終戦時にはハルビンでソ連側に逮捕されたが、特務機関員なのにもかかわらずシベリヤ送りにもならずに、二十一年大連経由で引揚げてきた。もちろん、妻やセミョーノフ将軍は処刑されたことはいうまでもないことである。その後、露語に巧みなところから、日ソ通信社や旧朝連(朝鮮人連盟)に関係、二十七年には日ソ貿易商社進展実業の通訳として、樺太炭の積取りのため樺太へ出張したこともあるという人物である。

ラ氏の吉野氏に関する供述内容は、さる二十五年春ごろ、元ソ連代表部員ポポフ氏と歌舞伎座付近の某料理店ではじめてレポをし、以来ポポフ氏の帰国に際してラ氏に申送られて、ラ氏が失踪するまでの約四年間にわたって、月三―四万円の報酬で、①在日白系露人(戦後ソ連籍を取得した赤系も含む)情報、②米空軍関係情報、③日本側警察情報などを流していたという。そしてその情報原として義弟S氏(船員)、元ハルビン機関員H氏(ジョンソン基地勤務員)ら

の名前をあげていたという。

赤い広場ー霞ヶ関 p.084-085 吉野氏の物的証拠が何もない。

赤い広場ー霞ヶ関 p.084-085 There is no physical evidence about Yoshino.
赤い広場ー霞ヶ関 p.084-085 There is no physical evidence about Yoshino.

いわゆる物的証拠というものはまず入手が困難である。関・クリコフ事件などは、現行犯逮

捕であるから物証を得られたが、ラ事件ではすべて自供である。自首した志位正二氏をはじめ日暮氏もそうである。捜査の根拠となったものが、ラ氏自供の「山本調書」である。

鹿地・三橋事件の際は、三橋自供によって、二人のレポが事前に察知されていたので、レポ現場における鹿地氏の逮捕となった。また鹿地氏の三橋氏宛ハガキ(註、のちに紛失して問題になったハガキ)も入手できたし、米国側撮影による二人のレポ現場写真もでき上ったのである。しかし、これは三橋氏が米国スパイだったから可能であった特例なのである。

吉野氏に関しては、ラ氏供述以外は何も物的証拠もない。吉野氏がラ氏などは知らないといえばそれまでである。二人のレポ現場でも撮影してあれば、知らないとはいわせられないのだが……。もちろん一民間人である吉野氏は、たとえラ氏の協力者であっても、何ら法的には拘束されない。

このような場合、当局としてあげ得る傍証には「金」がある。ラ事件で高毛礼氏が外国為替管理法違反で起訴されたように、容疑者の入金と出金とを詳細に検討してみることによって、容疑が強められる。三橋氏が自宅と敷地とを購入したなどはその例である。

吉野氏は陽当りのよい数百坪の土地を買い、こじんまりとした住宅を建てている。この資金は?という質問に対しては、

『連邦通商の取締役時代の収入ですよ』

と、言下に答えた。吉野氏の容疑は充分だが、証拠がないのである。当局では吉野氏に対して、ラ氏の協力者ではあったが、当局にとっては非協力者であると結論している。

吉野氏の言葉――アカハタの記事は、私への挑発で、何者かの陰謀だということこそ、彼が不用意に洩らした真相ではあるまいか。アカハタが平井警視正や丸山警視などの名前をあげており、吉野氏も二人に逢ったことを認めているからには、義弟S氏や友人H氏の如く、警察情報原として両氏の名前を、吉野氏からラ氏へ報告していたのではあるまいか。その情報を〝高く売り込む〟ために……。

いずれにせよ、アカハタがこのような事実を裏返しにして公表しているのは、〝何者かの陰謀〟に違いないのだろう。

吉野氏が〝協力者〟(ラ氏への)であるから〝非協力者〟(当局への)であるというのに対して、自首してきた志位氏は〝協力者〟(当局への)であったために結果的に〝非協力者〟(ラ氏への)になったという、全く対照的な立場にいる。

赤い広場ー霞ヶ関 p.094-095 都倉栄二はどちらか?

赤い広場ー霞ヶ関 p.094-095 The most trusted one was Shii, and the most distrusted was Yoshino.
赤い広場ー霞ヶ関 p.094-095 The most trusted one was Shii, and the most distrusted was Yoshino.

志位氏の協力的な供述が、スパイ事件をはじめて取扱った当局係官の、教養資料として役立ったことは大変なものだった。また志位氏の人物にホレこんだ係官たちが、同氏の存在を全く厳秘にしており、二十九年八月十四日、第二次発表の日に読売がスクープするまで、同氏のことは殆ど外部には洩れなかったほどであった。これも志位氏の真面目で研究的な、人間的魅力の賜物であろう。私も志位氏と親しく話してみて、係官たちの同氏への好意が、単なる〝協力者への好意〟だけではないと感じさせられたのである。

「山本調書」の一頁に次のようなラ氏供述があるといわれている。

私の何名かの協力者のうちで、一番信頼できたのは志位であり、一番駄目だったのは吉野です。ラ氏の自分の協力者へのこの感想と、その後の二人の行動――信頼された志位氏は進んで当局に協力し、信じられなかった吉野氏はあくまで否認する――との喰ひ違いは、私にもう一つの、全く同じような例を想い出させるのである。

すなわち、ラストヴォロフの山本課長への告白では、同じようにより多く信頼し、有能だと認めた日暮氏が、進んで当局の協力者となり、事件の全ぼうを告げたのに対し、ラストヴォロフがそれほどには評価せず、信頼度も低かったような庄司氏が、あくまで否認し黙秘して、当局への非協力者となっていることである。

志位対吉野の関係はそのまま日暮対庄司の関係である。つまりラ氏が信頼していたと告白する彼の協力者は、事実上彼の信頼を裏切って彼の非協力者になっており、ラ氏が認めるほどではないと称する彼の非協力者こそ、彼の評価を裏切ってその協力者になっているという事実である。

ここで私は再び読者に対して、恐ろしいことではあるが、全く同様なケースをもう一つ想い出させられることを告げねばならない。

「山本調書」を繰って読み進んでゆくと、都倉栄二という名前が出てくる。昭和十一年東京外語ロシヤ語科卒業の外務事務官、古い東外のロシヤ会会員名簿では外務省管理局引揚課となっているが、現在では欧米第六課(旧第五課、ロシヤ課である)員で、しかも現在進行中の日ソ交渉全権団の随員として、三十年五月二十六日に羽田を発って、交渉地ロンドンへ渡っている人物である。

都倉氏もまたラストヴォロフと接触していた人物の一人である。さきにラ氏の手記に「新日本会を組織した五人の大使館員」とあることを述べたが、そのさいにこの「新日本会」という会名も、「五人」という人数も、また「大使館員」という身分も、いずれも必ずしも事実ではないということを述べておいた。

赤い広場ー霞ヶ関 p.096-097 山本調書に都倉栄二の名も

赤い広場ー霞ヶ関 p.096-097 Rastvorov did not evaluate Eiji Tokura at all. why?
赤い広場ー霞ヶ関 p.096-097 Rastvorov did not evaluate Eiji Tokura at all. why?

ことほどさように、一度でもソ連の地を踏んだことのある外交官、記者、会社員などで、ソ連に対する忠誠を誓わせられなかったということは、極めてまれなことなのである。

全権団随員という、栄えある立場にある都倉氏に対しては、誠に申訳ない限りであるが、同氏もまたその例外ではなかったのであろう。ともかくラストヴォロフの供述として「山本調書」に氏の姓名が記されていることは、事実なのであるから。

つまり、私が志位対吉野の関係で、日暮対庄司を想い浮べ、また都倉氏を想い出したというのは、同氏に関するラストヴォロフの告白が、同氏を全く評価していないからであるのだ。

ラ氏によれば、彼は東京で都倉氏に連絡をつけたのだったが、都倉氏は全くこれに応じなかったというのである。これは日暮氏が反共理論家として有名な存在であったのと同様に、省内外に聞こえた〝右翼〟である都倉氏にとって、極めて有利なラストヴォロフの供述である。

もちろん、ラ氏が都倉氏を評価しなかったという供述があったればこそ、外務省当局もまた、氏を、全権団随員の一人に加えたのでもあろう。これは、都倉氏にとって名誉なことである。また、練達の外交官であり、一つの科学にさえなっているソ連秘密機関の誘惑術をも、敢然と拒み通した同氏が、多難の日ソ交渉に力をいたすことに大いに、期待するものである。

ある治安当局の一幹部はラストヴォロフ・スパイ事件捜査の経過を顧みながら、こう述懐していた。

『捜査の基礎となったものは彼の供述(註、山本調書)であるが、全般的な捜査の経過と結果とから考えてみると、どうも氏はすべてを告白していないという気がしてならない』

モスクワに残してきた妻子の安全を願うが故に、「彼(註、ラ氏)の指摘するところによれば、ソ連内務省が彼の的確な所在ないし、地位について疑問を抱いている限り、彼らは恐らく、彼の八才になる娘に対して、残酷な行動に出ることはないであろう、とのことでありました」(米大使書簡)「なかんずく同人の自発的離脱がソ連内務省に確知された場合、同人の家族に危害の及ぶことを恐れ、可能な限り単なる失踪として、取扱われたいという本人の強い希望に基き」(日本政府発表)と願ったラストヴォロフは、どうして失踪以来半年を経て「亡命」であることを、発表することに同意したのであろうか。 この半年の間に彼の妻子の安全は、如何に確認されたのであろうか。濠洲のペトロフ大尉の亡命のように、本国へ連行される夫人を奪取したというのならばうなずけよう。アメリカの秘密機関は、モスクワからラ氏夫人と愛娘とを救出して、同様本国へ連れてきたというのだろうか。そんなことはあり得まい。二十九年一月二十四日のラ事件以後、彼の妻子の消息については全くニュースがないのである。

赤い広場ー霞ヶ関 p.098-099 ラストヴォロフは亡命ではなく拉致か

赤い広場ー霞ヶ関 p.098-099 Rastvorov says he cannot trust those who value it truthfully. Is Lastvorov lying?
赤い広場ー霞ヶ関 p.098-099 Rastvorov says he cannot trust those who value it truthfully. Is Lastvorov lying?

ここで私は、ラ氏の評価が現実の志位対吉野、日暮対庄司の関係と、さらに前記の当局一幹部の言とを思い合せて、ラ氏の〝自発的離脱〟ということに深い疑問を覚えるのである。つまり亡命ではなくして、拉致であるというのである。

妻子をもすてた真の亡命であるならば、彼は完全な世捨人である。一切の真相を語り終って静かに余生を送るであろう。

彼が真相を語っていない、祖国ソ連に反逆していない、ということは、彼の告白は相当な鑑定を必要とする。例えば逆のことを語っているのではないか。信頼していなかった志位氏を信頼しているといい、高く評価している吉野氏を情報プローカーと極めつけるといったように。

すると、ラストヴォロフの失踪は、亡命でなくて拉致である。アメリカ得意の〝人浚い〟〝引ったくり〟である。すると、彼の妻子の安全は事実である。

ラ氏が拉致され、彼がウソをついてたとなるとこれは事件である。三十年五月二十五日付朝日新聞が報じた、外交暗号がソ連に解読されているのではないかという心配(元ハルビン特務機関長小野打寛少将から、公安調査庁を通じて外務省へ提出された意見)は、より大きくなって、暗号以前のものが筒抜けになるのではないか、という心配にならねばならない。

志位、吉野という二人のラ事件関係者のとった対照的な立場は、私には人間の自己保存の本能がそれぞれの形をとったものだと思われる。即ち一人は顕在化されることによって、死の恐怖から逃れ得ると信じ、一人は顕在化されることが、死の恐怖へ連なるものと信じているのであろう。

そして私は、幻兵団キャンペイン以来の信念で、志位氏の立場こそ、米ソ秘密戦の間にまきこまれた日本の犠牲を、最小限に喰い止め得るものだと思っている。

五 暗躍するマタハリ群像

強盗、殺人の一課モノ、詐欺、汚職の二課モノと、風紀衛生の保安、それに思想関係の公安。警視庁詰記者の担当は、ザッとこんな風に分れている。

どの分野にしろ、調べ室や事務室をのぞいてみて〝敵情〟を偵察し、係官たちとの雑談から片言隻句の〝情報〟を得て、そこで作戦参謀として最後の〝決心〟を下し、原稿を書くことに変りはない。これが「取材」であり、「発表」と根本的に違う点である。

だがこれらのうちで、絶対にふだんの努力がなければ情勢分析ができないのが公安関係だ。左翼も、日共の理論面の動きや、人と人とのつながりがわからなければ、パッとでてきた「伊藤律除名」の情報も、確度がわからない。スパイ事件も同じで、思想的背景があり、政治的謀略さえ考慮しなければならない。 三橋事件がそうだ。

赤い広場ー霞ヶ関 p.178-179 庄司対日暮、吉野対志位、都倉対菅原

赤い広場ー霞ヶ関 p.178-179 Those evaluated by Rastvorov betrayed Rastvolov and cooperated with police authorities. But, those he says badly are uncooperative with police. So are they really Soviet spies?
赤い広場ー霞ヶ関 p.178-179 Those evaluated by Rastvorov betrayed Rastvolov and cooperated with police authorities. But, those he says badly are uncooperative with police. So are they really Soviet spies?

これは都倉氏にとって極めて名誉なことである。ラ氏の口から、都倉氏の名前が出されたので、捜査当局では直ちに彼について調べてみた。この捜査は、ラ自供が真実なりや否やの、裏付け捜査だから当然のことである。ラ氏がスパイではないというものを、警視庁へ召喚して取調べることはできない。だからまず彼の抑留間のことと、帰国後のこと、そしてさらに、当局が彼の名を知ってから以後のことである。

そのため、同収容所の人たちにきき、さらに現在の部分は尾行してみた。その調べによると在ソ間の彼の行動については、幻兵団としてスパイ誓約をさせられたことは、まず間違いのない事実だという。

尾行、張り込みなどの身辺捜査からは、残念ながらラ自供の額面通りの、あまり良い結果は出なかったらしい。通商使節団のクルーピン氏らの、滞日期限延長問題などにからんで、当局では何らかの結論をつかんだようであった。

当局のアナリストはこう考えた。

――庄司対日暮、吉野対志位、この二組に共通したものは、ラストヴォロフの評価の高い者が簡単に当局の捜査に協力し、彼の評価の低い者が、非協力的だということである。

――都倉氏もまた、スパイにならなかったといって、けなしている。評価は低い。

――けなされた者は、庄司氏と吉野氏だ。そして、都倉氏だ。

アナリストは、そう考えこみながら、机上の一冊の雑誌を取って眺めた。三十年三月二十五日号の日本週報である。そこには「北海道を狙う軍事基地、南樺太の実態」という、大きな見出しが躍っている。筆者の菅原道太郎という名前と、その経歴とが書かれてあった。彼は意味もなく、その経歴を眼で追っていった。

――大正十一年北大農学部卒、昭和三年樺太庁農事試験所技師、昭和二十年赤軍進駐後、ソ連民政局嘱託となり、日本人食糧増産を督励中、反ソ容疑をもって逮捕投獄せらる。昭和二十二年証拠不充分で、ハバロフスク検事局で不起訴となり帰国。昭和二十四年連合軍総司令部情報部特殊顧問。昭和二十九年同退職しソ連研究に専心、著作に従事。

――ウム、菅原氏も樺太でスパイ誓約をさせられ、ラ氏の手先にさせられた。そして、ラ氏は賞めていたが、彼もまた快く当局に協力してくれた人物である。つまり、ラ氏の評価は高いがそれを裏切って、当局に協力してくれている。

――庄司対日暮、吉野対志位、都倉対菅原。何と対照的なことだろうか?

彼は雑誌を机上に落した。そこにはまた新聞の切抜きが二枚。五月十八日付の朝日新聞社告であり、五月二十一日付の朝日新聞のトップ記事である。社告には、朝日の海外特派員の、異

動と新配置が報じられ、清川勇吉氏をモスクワ駐在としてあった。そして、もう一枚はその入ソ第一報であった。

赤い広場ー霞ヶ関 p.214-215 スパイは奇異なものではない

赤い広場ー霞ヶ関 p.214-215 What works behind the negotiations between Japan and the Soviet Union---is it Siberian Organizer, Freemasonry, or the Cannon Unit of CIA, or even the British Secret Intelligence Service?
赤い広場ー霞ヶ関 p.214-215 What works behind the negotiations between Japan and the Soviet Union—is it Siberian Organizer, Freemasonry, or the Cannon Unit of CIA, or even the British Secret Intelligence Service?

〝奇怪な三人〟を調べたときの、アナリストの忠告と、地下の高級レストランで別れた〝ナ

ゾの女性〟の表情とを想い浮べて、私ももうここらで筆を擱かねばならない。

日ソ交渉のかげに蠢くもの——それは果して、かいらいを操るシベリヤ・オルグか、フリー・メーソンか、或はまた、元キャノン機関シャタック氏を先頭とする米CIAか、或はさらにまた、レッドマン氏に代表される英国秘密機関か?

いまや、われわれの首都東京は、諜報と謀略の渦巻く、トオキョオ租界と化してしまった。

スパイ事件が起ると、世の知識人たちは必らず『日本にスパイされるような、機密があるのかい?』と、皮肉まじりにいわれる。そしてまた、各主管大臣たちは、国会で『秘密はありません』と、答弁する。

確かに、現在の日本には、法律に定めた国家機密はない。MSA兵器の秘密保護法、駐留軍秘密の刑事特別法の両法が、指定する秘密は要するに、アメリカの秘密であって、日本の秘密ではない。

では、一体ラストヴォロフ氏は、日本から何をスパイしていたか? 個人的にいえば、日暮氏を通じては、欧米局ロシヤ課に集まる、各地の大、公使館からのソ連情報、駐在国のソ連観や、大、公使などの情勢報告書、および本省のそれに対する見解などがある。また、内調に集る元国警や、検察庁、警視庁、防衛庁など治安機関をはじめ、労働省、運輸省、文部省など、一般行政官庁からの国策決定の各種治安情報文書をみることができたので、それらだろうという。

庄司氏は、駐留軍のキャンプ設置場所、宿舍の設備など、駐留軍との外交接衝やら、米軍と防衛庁との連絡事項が担当だったので、同様それらがラ氏の役に立ったとみられる。

これでも分る通り、また私が第一集「迎えにきたジープ」から、全篇を通して主張してきた通り、スパイとは決して奇異なものではないということ。つまり、大使館に忍びこんで、金庫から機密書類を盗む、といったような、大時代的なものではない。

どんな片々たる、頭も尻尾もない話でも、それが、組織的に処理される限り、重大な事実を示す〝情報〟であり、この情報を、意識的、系統的、に集めることが「諜報」であるということである。

謀略もまた、鉄橋をダイナマイトで破壊したりすることばかりではない。また、そんなのは

下の下たるものであるが、やはり、謀略というと、大時代的な感覚しかなくて、軽べつ感が先に立つ。

しかし、ラ氏の亡命とか、シベリヤ・オルグの活躍とか、久原翁の引出しとか、すべてこのように、ある目的をもって、所期の事実を、自然に作り出すのが「謀略」である。